阿毘達磨倶舎論第二十三巻(四)
原文:この頂善根は下品・中品・上品と次第に増長し、成満の時に至ると、忍法と名付けられる善根が生ず。四諦の理を能く忍可する中で、これが最勝であるが故に、またこの位の忍は退堕することがないが故に、忍法と名付けられる。この忍善根の安足増進は皆法念住であり、前者とは異なる。然るにこの忍法にも下中上の三品あり、下中二品は頂法と同じく、四聖諦の境を具足して観察し、十六行相を具修する。
釈:頂法の善根が下品から中品へ、更に中品から上品へと次第に増長し、成熟円満に至ると、他の善根が生じて忍法と名付けられる。苦集滅道の四聖諦の理を忍可する善根の中で、この忍法が最勝である故に忍法と呼ばれる。またこの忍位は退堕しない故に忍法と称される。この忍法善根の最初の生起と漸進は、全て法念住を修する時に現れる。前三念住を修しても忍法善根は生じず、忍法善根は雑修では得られない点で、以前の暖と頂の善根と区別される。この忍法善根も下中上三品に分かれ、下中二品は頂法と同じく、四聖諦の理を具足観察し、十六行相を具修する。
上文より、忍法善根は退くことがないが、暖法と頂法の善根は退く可能性がある。即ち既に生じた順決択分を失い、内心に順決択分がなくなり、四聖諦に随順せず、五蘊が苦空無常無我であることを受け入れず、智慧が退堕する。その原因は様々で、あらゆる因縁が智慧退堕を招き、業障が大きければ仏法を信じ修行する心も失われる。しかし業障が過ぎ去れば、再び仏法修行の勇気と信心が生じ、暖法と頂法の善根を修得する可能性はあるが、忍法善根は決して退かない。
四種の善根は皆修慧に属し、修行によって得られる智慧である。故に聞慧と思慧は退堕可能で不堅固であり、修慧の初期も退堕するが、修慧の後期に至れば智慧は堅固となり退堕しない。一旦見道を証得すれば更に退堕せず、禅定は退く可能性あれど、見道の智慧は永遠に不退で果位も不退転となる。三果に至れば初禅定は退くかもしれないが、三果の解脱智慧と功徳は永遠に不退で果位も不退である。見道以前には禅定は不退でも智慧は退堕し得、智慧が退けば善根も退く。禅定の如何に関わらず。
原文:上品は異なり、唯だ欲界の苦を観じ、世第一と隣接するが故に、この義によって準じれば暖等の善根は皆三界の苦等を具縁し得る。義既に成立し、簡別無きが故に、瑜伽師は色界・無色界の対治道等、一一の聖諦に対する行相の所縁を漸減漸略し、遂には唯だ二念の作意に至り、欲界苦聖諦の境を思惟する。此れ以前を中忍位と名付け、此の位より無間に勝れたる善根を生じ、一行一刹那を上品忍と称す。此の善根の生起は相続せず、上品忍の無間に世第一法を生ず。
釈:忍法善根の上品は頂法と異なり、上品は欲界の苦のみを観察し、世間第一法と緊密に隣接する。この義理によって、暖・頂・忍等の善根が三界の苦等四聖諦を具縁し得ることが確定する。この理趣は既に成立しており、四聖諦を再び弁別する必要がない故に、瑜伽行者は色界・無色界の対治道において、各聖諦に対する行相の所縁を次第に減略し、遂には二念の作意のみで欲界苦聖諦の境を思惟するに至る。此れ以前を中忍位と称し、中忍位より無間に殊勝な善根が生起し、各々の行相各刹那を上品忍と呼ぶ。この善根が最初に生起する時は相続しないが、上品忍に至れば無間となり、ここに世間第一法が生じる。
原文:上品忍の如く欲苦諦に縁り、一行相を修し、唯一刹那なり。此れ有漏なるが故に世間と名付け、最勝なるが故に第一と称す。此の有漏法は世間中最も勝れたる故に世第一法と名付けらる。士用の力有りて、同類因を離れ、聖道を引生するが故に最勝と為す。
釈:例えば上品忍は欲界苦聖諦に縁り、十六行相の一つを修め、一刹那で完成する。しかしこの善根は有漏である故に世間と称され、世間中最も勝れている故に第一と名付けられる。この有漏法は世間中最も優れたものである故、世第一法と言われる。この位における定慧の力は修行者を世間凡夫の同類因から離脱させ、聖道を証得する道力を引發する故、この位を最勝第一と称する。
回向文:当ネットワークプラットフォームにおける全ての弘法と共修の功徳を、法界の衆生に回向し、世界の民衆に回向す。世界平和を祈願し、戦争起こらず、烽火興らず、干戈永く止み、一切の災難尽く消退せんことを。各国人民が団結相助け、慈心をもって相対し、風雨順時に国泰民安ならんことを願う。一切衆生が因果を深く信じ、慈心をもって殺生を断ち、善縁を広く結び、善業を広く修め、仏法を信じ学び、善根を増長し、苦を知り集を断ち、滅を慕い道を修め、悪趣の門を閉じ涅槃の路を開かんことを。仏教が永く興隆し、正法が永住し、三界の火宅を極楽の蓮邦となさんことを祈願す。
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