原文:此顶善根。下中上品。渐次增长。至成满时。有善根生。名为忍法。于四谛理。能忍可中。此最胜故。又此位忍。无退堕故。名为忍法。此忍善根。安足增进。皆法念住。与前有别。然此忍法。有下中上。下中二品。与顶法同。谓具观察。四圣谛境。及能具修。十六行相。
解釈:頂法の善根が下品から中品へ、さらに中品から上品へと、次第に増長して成熟円満に至ると、他の善根が生じてきて、忍法と名づけられます。苦集滅道の四聖諦の理を忍可できる善根の中で、この忍法が最勝であるがゆえに、忍法と呼ばれるのです。また、この忍位ではもはや退堕して戻ることがないがゆえに、忍法と名づけられます。この忍法の善根の最初の出生と次第の増進は、いずれも法念住を修しているときに現れるものであり、前の三つの念住を修しているときには、まだ忍法の善根を生じることはできません。忍法の善根は雑修によって生じたものではなく、この点で前の暖と頂の善根とは区別されます。この忍法の善根もまた下・中・上の三品に分けられ、下・中の二品は頂法と同じく、四聖諦の理を具足して観察し、また十六行相を具足して修習することができます。
上文から分かるように、忍法の善根は退いて戻ることはありませんが、暖法と頂法の善根は退いて戻る可能性があります。すなわち、すでに生じた順決択分が失われ、内に順決択分がなくなり、四聖諦の理に随順しなくなり、五蘊が苦・空・無常・無我であることを受け入れなくなり、智慧に退堕が生じるということがありうるのです。その原因は数多くあり、いかなる因縁によっても智慧の退堕は起こりえます。業障の大きい者は、仏を信じ仏を学ぶことをやめてしまう可能性もあります。しかし業障の関が過ぎ去ったのちには、再び仏を学び修行する勇気と信心が燃え上がることもあり、再び暖法と頂法の善根を修出することもありえますが、忍法の善根は退いて戻ることはありません。
四種の善根はいずれも修慧に属し、修行によって得られた智慧であるがゆえに、聞慧と思慧は退堕しうるものであり、堅固ではありません。修慧の前半部分もまた退堕しうるものであり、堅固ではありません。修慧の後期に至って、はじめて智慧は堅固となり、退堕しなくなります。そしてひとたび見道で実証したのちは、なおさら退堕することはありません。禅定は退く可能性がありますが、見道の智慧は永遠に退かず、果位も退きません。三果に修到したとき、初禅の定は退くことがあり、永遠に保ち続けることはできないかもしれませんが、三果の解脱の智慧と功徳は永遠に退かず、果位は退きません。見道の前では、禅定は退かないことがあるかもしれませんが、智慧は退く可能性があり、智慧さえ退けば善根も退してしまい、禅定のいかんにかかわらずそうなるのです。
原文:上品有异。唯观欲苦。与世第一。相邻接故。由此义准。暖等善根。皆能具缘三界苦等。义已成立。无简别故。谓瑜伽师于色无色。对治道等。一一圣谛。行相所缘。渐减渐略。乃至但有二念作意。思惟欲界苦圣谛境。齐此以前。名中忍位。从此位无间。起胜善根。一行一刹那。名上品忍。此善根起。不相续故。上品忍无间。生世第一法。
解釈:忍法の善根の上品は頂法と差異があり、上品は欲界の苦のみを観察し、世間第一法と緊密に隣接しています。この義理によって準じて言えば、暖・頂・忍などの善根はいずれも三界の苦などの四聖諦を具足して縁ずることができるのです。この義理はすでに心中に確立されており、四聖諦について改めて鑑別を加える必要がないがゆえのことです。瑜伽行者は色界と無色界に対しては、修道の対治の方法について、苦集滅道のそれぞれの聖諦に縁ずる行相と所縁を次第に減じ、次第に簡略化していき、ついには二つの念の作意のみとなって、欲界の苦聖諦の境界を思惟します。ここに至る以前を中忍位と名づけます。中忍位から無間断に、より殊勝な善根が生じ、一行一刹那が上品忍と名づけられます。この善根が生じたときは相続しないのですが、上品忍に至ると善根は無間断となり、このとき世間第一法が出生するのです。
原文:如上品忍。缘欲苦谛。修一行相。唯一刹那。此有漏故。名为世间。是最胜故。名为第一。此有漏法。世间中胜。是故名为。世第一法。有士用力。离同类因。引圣道生。故名最胜。
解釈:たとえば上品忍は、欲界の苦聖諦に縁じて、十六種の行相のうちの一つの行相を修するのに、ただ一刹那の時間で完成します。しかしこの善根は有漏であるがゆえに、世間と名づけられ、世間の中で最も殊勝であるがゆえに、第一と名づけられるのです。この有漏法は世間の中で最も殊勝であるがゆえに、世間第一法と言われるのです。この善根位における定慧の力は、修行者を世間の凡夫の同類の因から離れさせ、道力を引発して聖道を証得させるものであるがゆえに、この位は最勝第一と名づけられるのです。
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