阿毘達磨倶舎論 第二十三巻(一)
原文:頌に曰く、彼は法念住に住し。総じて四つの所縁を観ず。非常及び苦空を修め。非我の行相なり。論に曰く、彼の観行者。縁に居て総雑なり。法念住の中に。総じて所縁を観ず。身等の四境を。四つの行相を修む。所謂非常。苦空非我なり。此の観を修めたる已に。何の善根を生ずるや。
釈:四念住中の法念住を修習している行者は、総体的に身・受・心・法の四つの所縁境を観行し、身・受・心・法の苦・空・無常・無我の行相を修習すべきである。論中に説く:四念住を観行する行者は、五蘊の総体に縁り、更に他の身・受・心念住の三縁を交えつつ順次に観行し、法念住を修習する際には、五蘊の総体から所縁である身・受・心・法の四境を観行し、四念住の四つの行相である苦・空・無常・無我を修習する。この四つの観行を修めた後、どのような善根が生じるのか。
原文:頌に曰く、此れより暖法を生ず。四聖諦を具観し。十六行相を修む。次に頂を生ずるも亦然り。是の如き二つの善根。皆初めは法、後に四なり。次の忍は唯法念のみ。下中品は頂と同じ。上品は唯欲界の苦を観ず。一行一刹那なり。世第一も亦然り。皆慧を体とし五を除き得たり。
釈:偈頌に説く:四念住の苦・空・無常・無我を修習した後、暖法が生じ、四聖諦を具足して観行し、十六種の行相を修得する。次に頂法が生じる過程も同様に、四聖諦を具足観行し十六種の行相を修める。暖法と頂法の二つの善根は、最初に法念住を修め、後に身・受・心・法の四念住を交えて観行して生じる。次の忍法善根は法念住のみを修習すれば生じ、忍法の下品と中品は頂法の観行対象と同じである。忍法の上品は欲界の苦のみを観じ、五蘊の各行毎に一刹那ずつその苦諦を観行する。
世間第一法の善根も同様に、法念住を修習する時に生じ、下品と中品の観行対象は頂法と同じである。上品は欲界の苦のみを観ず。四つの善根は全て慧を体性とし、五蘊を縁として修められるが、得(得法)を除く。
十六種の行相とは、四念住の各々において苦・空・無常・無我性を観察し、四つの行相を具えるため、四念住で十六種となる。即ち身念住の苦・空・無常・無我、受念住の苦・空・無常・無我、心念住の苦・空・無常・無我、法念住の苦・空・無常・無我である。暖法と頂法の善根修習においては、十六種の行相を修め、観行の智慧は次第に深細となり、禅定も次第に深まり、定慧の次元が異なる。第四の善根である世間第一法が円満した後、定慧が具足して初めて見道が可能となる。
回向文:当ネットプラットフォームにおける全ての弘法と共修の功徳を、法界の一切衆生に回向いたします。世界の民衆に回向し、世界平和と戦争の消滅を祈願します。烽火起こらず、干戈永遠に止み、一切の災害ことごとく消退せんことを。各国人民が団結互助し、慈心をもって相対し、風雨順調に国泰民安ならんことを祈ります。一切衆生が因果を深く信じ、慈心をもって殺生せず、善縁を広く結び、善業を修め、仏法を信じ学び、善根を増長し、苦を知り集を断ち、滅を慕い道を修め、悪趣の門を閉ざし涅槃の道を開かんことを。仏教の永き興隆と正法の永住を祈念し、三界の火宅を極楽の蓮邦となさんことを。
5
+1