俱舎論疏第二十三巻原文:上記の論文に準ずれば、即ち三義七処等の後に、総相念住を起こし、暖法に入るなり。三義観とは、即ち蘊・処・界の三科の義なり。七処善とは、色の苦を如実に知り、色の集を如実に知り、色の滅趣を如実に知り、色の滅行を如実に知り、色の味を如実に知り、色の患を如実に知り、及び色の出離を如実に知るなり。受・想・行・識の七つもまた同様に如実に知るなり。色を如実に知るとは、四智の知る所なり。謂わく法智・類智・世智・苦智なり。
釈:上述の論文の説く所に対照すれば、蘊・処・界の三科の義及び七処善を観じた後に、五蘊の総相に縁る法念住が生起し、暖法の善根に入ることを知るべきである。三義観とは蘊・処・界の三法に対する観察である。七処善とは、色蘊の苦・色蘊の集・色蘊の滅道・色蘊の滅が修める道・色蘊の味・色蘊の過患・及び色蘊の出離可能なることを如実に知ることをいう。また受蘊のこれら七処善・想蘊の七処善・行蘊の七処善・識蘊の七処善も、全て色蘊の七処善と同様の理であることを如実に知る。さらに色蘊を如実に知ることで四種の智、即ち法智・類智・世俗智・苦智が生じる。
解脱した者は十種の智を具える:法智・類智・世俗智・苦智・他心智・集智・滅智・道智・尽智・無生智である。五蘊の各蘊における七処善を如実に観察したが故に、智慧をもって色蘊を如実に知り、色蘊を知る智慧には四種ある。即ち法智・類智・世智・苦智である。法智とは一切の法を総体的に智慧で観察し無我・無常・苦・空であることを知るものであり、類智とは総体の法における同類の法を智慧で観知するものであり、世智とは世俗界における法に対する智慧的対応、即ち世俗の衆生の根機の利鈍に随って適宜に導くことであり、苦智とは五蘊の世間を如実に観察し、智慧をもって世間の一切の法が苦であり取るに足らぬことを知るものである。
回向文:我々のネットワークプラットフォームにおける全ての弘法と共修の功徳を以て、法界の衆生に回向し、世界の民衆に回向し、世界平和を祈願し、戦争起こらず、烽火起こらず、干戈永く息み、一切の災難ことごとく消退せんことを!各国の人民が団結し互助い、慈心をもって相い向かい、風雨順い時を得て、国泰く民安んぜんことを祈願します!一切衆生が因果を深く信じ、慈心をもって殺生せず、善縁を広く結び、善業を広く修め、仏を信じ仏を学び、善根増長し、苦を知り集を断ち、滅を慕い道を修め、悪趣の門を閉ざし涅槃の路を開かんことを!仏教の永き興隆、正法の永き住持を祈願し、三界の火宅を変じて極楽の蓮邦とならんことを!
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