心量が大きければ大事を成し、心量が小さければ小事を成し、心量が無ければ何事も成せない。心量とは何を指すのか。心は大虚を包み、量は沙界に遍くというのは、どういう意味か。
如来蔵は確かに大虚を包み沙界に遍くものではあるが、如来蔵は如来蔵であり、自己の七識の心はどれほどの大きさがあるのか。如来蔵は大虚空を包むことができるが、自己の七識はただ自己を包むのみで、さらに自分の家族や眷属を加える程度ではなかろうか。このような小さな心量で、いったい何が成せるというのか。
菩薩のような心量を持ち、仏教全体の事業を心に宿し、法界の衆生を心に抱く者がどこにいるのか。このような心量が無く、日々私利私欲のために奔走し、個人の事や家族の些事ばかりを考えている者が、仏道を求めて法の利益を得ようとするなど、果たして可能であろうか。少しの物音にも慌てふためき、隙間に隠れて身を縮こませ、それで安泰と思い込む。仏教に関わる事態には決して関わろうとせず、自分に都合が悪ければ四方に救いを求め、皆が自分を顧みることを願う。このような心行の者が生死輪廻の苦しみを受けるのは、当然の報いではないか。
皆こぞって仏教から利益を得ようとし、三宝の加護を願いながら、仏教に事あれば三宝が護持を必要とする時には、誰もが遠くに身を引いて手を差し伸べず、仏教と三宝の困難を傍観する。このような者が仏弟子と言えようか。自ら仏教に依って生きながら、仏教を家と見做し、その家に事ある時には冷ややかに眺め、まず己を守ることに専念する。仏教の興廃など我が事ではないと考える者が、仏教の利益を得られるだろうか。三宝の加護を受けられるだろうか。
知らないのか。巣が覆れば卵は全うされぬ道理を。仏教の興亡は仏子の責務であり、責任を担わんとしない者が仏子と言えようか。
回向文:当ネットプラットフォームにおける全ての弘法と共修の功徳を以て、法界のすべての衆生に回向いたします。世界の民衆に回向し、世界平和を祈願し、戦争が起こらず、烽火が上がらず、争いが永遠に止み、あらゆる災難が消え去りますように。各国の民が団結し助け合い、慈愛の心をもって接し、五穀豊穣で国泰民安となりますように。全ての衆生が因果を深く信じ、慈心をもって殺生せず、善縁を広く結び、善業を広く修め、仏を信じ学び、善根を成長させ、苦を知って集を断ち、滅を慕いて道を修め、悪趣の門を閉ざし涅槃への道を開きますように。仏教が永遠に栄え、正法が常住し、三界の火宅を極楽の蓮邦となしますように。
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