若い頃と年老いたときの写真を見ると、ほとんど別人のように変わっている。この時の身体とあの時の身体は、果たして同じ身体なのだろうか。私は何年も琴を弾いてきたが、古琴にも強い興味を持っていた。しかし去年から次第に興味が薄れ、同じ物事に対する態度が徐々に変化していく。この興味を失った心と以前好きだった心は、同じ心なのだろうか。自らの身体の変化と心の変化を観察すると、肉体の細胞も自らの心性も絶えず生滅変化を繰り返していることがわかる。この認識に基づけば、これらはすべて因縁和合によって生じたものであり、したがって実体のあるものではない。
評:観察と認識は非常に良い。自らの好むもの・愛するものを見破って放下できるのは、成長の証であり、子供のように玩具に執着することがなくなった。三界の一切の法は玩具のようなものだ。異なる衆生は異なる玩具を好み、欲界の衆生は欲界の玩具を好み、色界の衆生は色界の玩具を好み、無色界の衆生は無色界の玩具を好む。皆、見破ることができず、心が境界に惑わされ、それに囚われて解脱できない。境界を見破れないのは無明によるものであり、無明が破れないのは、無明に覆われた時間があまりに長く、闇から抜け出せず、かえって闇を光と見做しているからだ。仏法の導きのもとで初めて、無明を認識し、自我を見極め、境界を見極めることで、少しずつ闇を突破し、無明を破り、束縛を捨て去り、自在に解脱することができるのだ。
回向文:私たちのネットワークプラットフォームにおけるすべての弘法と共修の功徳をもって、法界の一切衆生に回向し、世界の民衆に回向いたします。世界平和を祈願し、戦争が起こらず、烽火が上がらず、干戈が永遠に止むことを。あらゆる災害がことごとく消退することを。各国の人民が団結し助け合い、慈しみの心をもって接することを祈願します。風雨順調で、国泰民安であることを。一切衆生が因果を深く信じ、慈しみの心で殺生せず、善き縁を広く結び、善き業を広く修め、仏を信じ学び、善根が増長することを。苦を知り集を断ち、滅を慕い道を修め、悪趣の門を閉ざし、涅槃の道を開くことを。仏教が永遠に興隆し、正法が永く住することをお祈りします。三界の火宅を極楽の蓮華の郷とならしめんことを。
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