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日常法話

2022年04月09日    土曜日     第1開示 合計3611開示

瑜伽師地論十二因縁釈(十五)

原文:問。識もまた名色を縁とする。何故此の中では、ただ行を縁と説くのか。答。行は識の雑染縁であり、能く引き能く生じて後の世の果報があるが故である。名色の如くにはあらず、ただ依所・所縁として生起の縁となるのみである。

釈:問う。六識も名色を縁として生じるのに、なぜここでは六識が身口意の行を縁として生じるとだけ説くのか。答える。身口意の行は六識の善悪無記の種子に対する雑染縁であり、雑染の種子すなわち雑染の六識は後の世の名色の業果を引き起こし生じさせる縁であるから、身口意の行は六識の縁であり、業種の出現を引き生じさせると説くのである。名色が単に六識の出生が依存する増上縁であるのとは異なり、行は六識の所縁縁であり、直接に六識の業種の出生を引き起こすのである。

行が縁となり識が生じる。身口意の行が雑染であれば、六識も雑染となり、雑染の種子および後の世の雑染の果報が生じる。しかし身口意の行は六識の身口意の行であり、六識がなければ身口意の行もない。ゆえに身口意の行は六識を引き生じるのではなく、六識が造る業種、すなわち六識の雑染縁を引き生じるのである。なぜ身口意の行は雑染なのか。意根の心行が雑染であるため、意根が引き生じる身口意の行も雑染となり、六識も雑染となり、種子および果もまた雑染となる。名色の雑染果が出生した後、六識は雑染の名色に依止して出生する。名色は六識を出生させる増上縁であって、引生縁ではない。

原文:問。名色もまた大種によって造られ、触によって生じる。何故ただ識を縁と説くのか。答。識は能く彼らの新生の因となり得るが故である。彼らが既に生じた後、あるいは正に生じている時に、大種及び触はただ彼らに対して建立因となるのみである。

釈:問う。名色も七大種子によって創造され、触の因縁によって出生する(入胎時には意触があり、出胎時には六入処触がある)。なぜここでは名色が六識を縁として生じるとだけ説くのか。答える。六識は名色が新たに出生する因縁となり得る。名色が出生した後、あるいは正在出生時に、地水火風空識の六大種子および触は、名色が五蘊となるための建立因縁・継続因縁・変異因縁にしかならない。二種の因縁はそれぞれ名色の出生の前後で作用し、その働きに差別がある。引生因縁の重要性の観点から識が名色の縁であると説くのであり、ゆえに大種と触が名色出生の縁であるとは説かないのである。

回向文:我々のネットワークプラットフォームにおける全ての弘法と共修の功徳を以て、法界の一切衆生に回向し、世界の民衆に回向する。世界平和を祈願し、戦争起こらず、烽火興らず、干戈永遠に止むことを。一切の災難ことごとく消退せんことを。各国の人民が団結互助し、慈心をもって相い向かい、風雨順調で国家安泰であることを祈願する。一切衆生が因果を深く信じ、慈心をもって殺生せず、善縁を広く結び、善業を広く修め、仏を信じ学び、善根を増長し、苦を知り集を断ち、滅を慕い道を修め、悪趣の門を閉じ涅槃の路を開かんことを。仏教が永く興隆し、正法が永く住んではん事を祈願する。三界の火宅を極楽の蓮邦となさんことを。

——生如法師の開示
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