衆生无边誓願度
煩悩无尽誓願断
法門無量誓願学
仏道無上誓願成

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日常法話

2022年04月08日    金曜日     第1開示 合計3609開示

心量とは何でしょうか

心の器量が大きければ、大きな事を成し遂げ、心の器量が小さければ、小さな事を成し遂げ、心の器量がなければ、何事も成し遂げられない。では「心の器量」とは何を指すのか。「心は大虚を包み、量は沙界に周る」とはどういう意味か。

如来蔵は確かに「心は大虚を包み、量は沙界に周る」と言われるが、如来蔵は如来蔵であり、自己の七識心はいかほどの大きさを持つのか。如来蔵は大虚空を包み込むが、自己の七識はただ自己のみを包み、せいぜい家の親族眷属を加える程度ではないか。これほどの小さな心の器量で、いったい何が成し遂げられようか。

いったい誰が菩薩のような心の器量を持ち、心に仏教事業全体を抱え、法界の衆生を想っているのか。もしそのような器量がなければ、日々ひたすら個人の私利私欲を求め、考えているのは個人の事や家族数人の事ばかりである。このような心で仏道を求め、仏法に利益を得ようとするのは、果たして可能であろうか。少しでも風吹き草動があれば、頭を抱えて逃げ回り、隅っこに隠れて表に出ようともせず、それで自分は安泰だと思い込む。仏教に何かあっても決して進んで手を貸そうとせず、自分に都合が悪いことがあると四方八方に助けを求め、皆が自分を気遣ってくれることを願う。このような心の行いを持つ者が生死輪廻の苦しみを受けるのは、当然ではないか。

誰もが仏教から利益を得ようと望み、誰もが三宝の加護を受けようとする。しかし仏教に何かあると、三宝が護持を必要とする時には、皆遠くに逃げ隠れ、一つの手も差し伸べず、仏教と三宝の失態を嘲笑う。このような者が、果たして仏弟子と言えようか。自ら仏教に依って生き、仏教を家としているのに、仏教の家に事が起これば冷ややかに傍観し、真っ先に自己保身を図る。仏教が滅びようと、それは自分に関係ないと考える。このような者が仏教の利益を得られるだろうか。三宝の加護を得られるだろうか。

知らないのか。巣が覆れば、どうして無傷の卵がありえようか。仏教の興亡は仏子の責務である。責務を担おうとしない者が、どうして仏子と言えようか。

回向文:当ネットワークプラットフォームにおける一切の弘法と共修の功徳をもって、法界の衆生に回向し、世界の民衆に回向する。世界の平和を祈願し、戦争の起こらぬことを。烽火の上がらぬこと、干戈の永遠の止むことを。一切の災難ことごとく消退することを。各国の人民が団結し助け合い、慈心をもって相い向かうことを祈願する。五穀豊穣、国家安泰であることを。一切衆生が因果を深く信じ、慈心をもって殺生せぬことを。広く善縁を結び、広く善業を修めることを。仏を信じ仏を学び、善根の増長することを。苦を知り集を断ち、滅を慕い道を修めることを。悪趣の門を閉ざし、涅槃の路を開くことを。仏教の永遠の興隆を祈願し、正法の永住を。三界の火宅を変じて、極楽の蓮邦とならんことを。

——生如法師の開示
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