問う。幾つの支が引因に摂せられるか。答えて。無明より受に至るまで。問う。幾つの支が生因に摂せられるか。答えて。愛より有に至るまで。問う。幾つの支が生引二因果に摂せられるか。答えて。現法後法において。識等より受に至るまで。生老死の位において摂せられる諸支なり。
釈:問う。十二支分の中で引因に摂せられるのは幾支か。答えて。無明縁行・行縁識・識縁名色・名色縁六入・六入縁触・触縁受、この七支は引因に摂せられ、後の支分を引き起こす。問う。生起因に摂せられるのは幾支か。答えて。受縁愛・愛縁取・取縁有、この三支は生起因に摂せられ、生支と老死支を生起させる。問う。生起因と引因の二因果に摂せられるのは幾支か。答えて。現前の法と後世の法において、識縁名色・名色縁六入・六入縁触・触縁受の四支は、生と老死の位の支分において、生起因と引因の二因果に摂せられる。
無明は行を引き起こすが、行を生じることはできない。引とは導くことであり、増上縁である。生じることは直接の発生を指す。無明には実体・心・種子がなく、行を生じることはできず、ただ阿頼耶識が行を生じる引き金となる。この引き金がなければ、阿頼耶識は行を生じることができない。行は六識(業種)の引因であり、直接六識を生じる因ではない。行には自体性も種子もないため、六識を生じることはできず、阿頼耶識が行を縁として六識を生じる。六識の業種は名色の因縁であるが、直接名色を生じることはできず、阿頼耶識が六識業種を縁として名色を生じる。六識の造作によって残る種子は後世の名色を引き起こす。
名色は六入の引因であり、直接六入を生じることはできない。阿頼耶識が名色を縁として六入を生じる。この中で意入は元々存在するものであり、阿頼耶識が新たに生じたものではない。六入は触の引因であり、触を引き起こすが、直接触を生じることはできない。六入には自体性がなく種子もないため、触を生じることはできず、阿頼耶識が六入という引因を縁として触を生じる。触は受の引因であり、受を引き起こすが、直接受を生じることはできない。触には自体性がなく、識心でもなく種子もないため、阿頼耶識が触を縁として受を生じる。
愛・取・有の三支は後世の生と老死支の生起因となる。もし愛取有がなければ、五蘊身は滅び無余涅槃に入り、生と老死がなくなる。故に愛取有の三支は後世の支分の生起因である。
問う。もし無明が不如理作意を因とすると説くならば、何の因縁によって縁起の教えの中で先にこれを説かないのか。答えて。それはただ不断の因であるが故に、雑染の因ではないからである。何となれば、愚ならざる者はこの作意を起こさない。雑染の因に依って縁起の教えを説く。無明の自性は染汚であるが、不如理作意の自性は染汚ではない。故にそれは無明を染汚することはできず、ただ無明の力によって染汚される。また生じる雑染業は煩悩の力によって熏習され、業を発する最初の因を縁起の初めとす。故に不如理作意を説かない。
釈:問う。無明が不如理作意を因とするとするなら、なぜ縁起法の教えで先に不如理作意を説かず、直接無明を説くのか。答えて。不如理作意はただ縁起法が断滅しない因であり、三性雑染の煩悩因ではない。なぜなら愚痴無明の者こそが不如理作意を起こすからである。無明がなければ不如理作意は生じない。故に無明を先とし、雑染の煩悩因に依って縁起の教えを説く。
無明の自性は染汚煩悩あり。不如理作意の自性は染汚ではない。故に不如理作意は無明を染汚できず、無明によって染汚される。生じる雑染業は煩悩力(無明力)によって熏習され、雑染業を生起させる最初の因が縁起法の初めである。故に最初に不如理作意を説かない。
回向文:当ネットプラットフォームにおける全ての弘法と共修の功徳を、法界の衆生に回向し、世界の民衆に回向し、世界の平和と戦争の終熄を祈願します。烽火起こらず、干戈永遠に止み、一切の災難ことごとく消退せんことを。各国人民が団結し慈心をもって相対し、風雨時に順い国泰民安ならんことを。一切衆生が因果を深く信じ慈心をもって殺生せず、善縁を広く結び善業を修め、仏法を信じ学び善根を増長し、苦を知り集を断ち滅を慕い道を修め、悪趣の門を閉ざし涅槃の路を開かんことを。仏教の永き興隆と正法の常住を祈り、三界の火宅を極楽の蓮邦となさんことを。
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