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日常開示

2022年04月02日    土曜日     第1 回の開示 合計3602回の開示

瑜伽師地論第十巻十二因縁釈(十一)

問。何故に諸支は相望んで、因縁無きや。答。因縁とは、自体の種子の縁によって顕れるが故なり。問。若し諸支が相望んで因縁無きならば、何故に因果の体性に依って縁起を建立すと言うや。答。増上縁に摂せられる所の、引發因・牽引因・生起因に依るが故に、因と名づけて説く所以なり。

釈:問う。何故これらの支分が互いに縁となり合う中に因縁が無いのか。答える。所謂る因縁とは、諸支分の自体の種子の縁によって顕現されるものである。更に問う。これらの支分が相互に縁となり牽引し合う中に因縁が無いならば、何故因果の体性に依拠して縁起を建立したと言うのか。(因果の体性とは、前因が後果を生じ、後果こそが縁起の法である。)答える。これらの支分は増上縁に摂受されるものであり、前の支分は後の支分に対する引發因・牽引因・生起因として、方便的に因と説かれ、後の支分が果となる。故に因果の体性に依って縁起法を建立すると言うのである。

因縁は四縁中最も重要な縁であり、諸法を出生させる直接の因である。種子は因縁法に属し、種子は因位にあり、(無明を除く)十一支分は果位にある。因あれば必ず果あり、縁も即ち因の意味であり、種子が十一支分の出現を引き起こす。種子とは六識の身口意行が残した業種を指す。この意味は極めて深遠で、諸支分を生じる自体の種子は全て阿頼耶識より来たり、阿頼耶識中に存在する。換言すればこれらの支分は全て阿頼耶識より出生し、阿頼耶識と自体種子がこれらの支分の因縁である。

十二因縁においては、識が名色を縁ずる一支においてのみ名色の出生に種子がある。前世の六識の身口意行の種子が、此の世の名色出生の因縁である。而して名色以降の支分の出生には何れも種子が無く、各支分は全て前の支分より引き起こされて生じる。即ち前の支分が後の支分に対する増上縁、或いは等無間縁、或いは所縁縁となるが、何れも種子の因縁は無い。無明が行を縁じ、行が識を縁ずる場合も同様に、種子の因縁は無く、只等無間縁・所縁縁・増上縁のみである。

回向文:当ネットプラットフォームにおける全ての弘法と共修の功徳を以て、法界の衆生に回向し、世界の民衆に回向す。世界の平和を祈願し、戦争起こらず、烽火興らず、干戈永遠に止むことを。一切の災害ことごとく消退せんことを。各国人民が団結相助け、慈心を以て相対し、風雨時に順い、国泰くして民安んずることを祈願す。一切衆生が因果を深く信じ、慈心をもって殺生を断ち、広く善縁を結び、広く善業を修め、仏法を信じ学び、善根を增長し、苦を知り集を断ち、滅を慕い道を修め、悪趣の門を閉じ、涅槃の路を開かんことを。仏教の永き興隆、正法の永住を祈願し、三界の火宅を変じて極楽の蓮邦とならんことを。

——生如法師の開示
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