衆生無辺誓い度す
煩悩無尽誓い断つ
法門無量誓い学ぶ
仏道無上誓い成す

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日常開示

2022年03月22日    火曜日     第1 回の開示 合計3593回の開示

瑜伽師地論 第十巻 十二因縁釈(四)

原文:此生支略義とは。生の自性、生の処位、所生、因縁によって摂されるもの、任持によって引き出されるもの、俱生の依持を指す。これを略義と名付く。衰とは何か。依止が劣るが故に、掉動を引き起こすことをいう。老とは何か。髪と肌色の衰変を指す。摂とは何か。皮膚が緩み皺が生じることをいう。熟とは何か。火力が衰え、欲塵を受用する勢力を失うことを指す。

釈:十二因縁における生支の大略は次の通りである。生の略義は、生の自性、生の段階、生じられるもの、因縁によって摂持される法、任運に執持されて現れる法、生と共に依持する法を指す。衰とは、依止する法が劣弱であるため、自らが衰退し衰弱することをいう。老とは、容貌の衰え変わることを指す。摂とは、次第に皮膚に皺が生じることをいう。熟とは、色身における生命力が衰え、五欲六塵を受用する精力を失うことを指す。

生の自性とは無から有へと新たに現れることをいう。生の段階は胎内における発育段階や出生後の成長過程に分かれる。甲が乙を生む場合、乙は所生である。生は因縁和合によって現れる法であり、因縁なくして生は存在せず、生あるところ必ず因縁の摂持がある。故に生は空なる法である。生はまた名色が任運に生長すれば六入が生じ、六入が成長すれば触が生じ、根塵が触れ合えば識が生じるなど、任運の執持によって引き出される法でもある。

原文:気力損壊とは何か。体に病多く、事業をなす力なきことをいう。黒黡間身とは何か。暗黒が現れ容色を損なうことを指す。身の脊曲がり喘ぎ急しとは何か。歩行の威儀において身形に現れ、重き喘咳を発することをいう。形貌が前に偻むとは何か。坐する威儀において身首が低く曲がることを指す。杖に憑りて立つとは何か。立つ威儀において杖の力に依って住することをいう。

釈:気力損壊とは、病苦多く精力を失い、何事も成し得ぬ状態を指す。黒黡間身とは、身体に暗い斑点が現れ容姿を損なうこと。身の曲がり喘ぎ急しとは、姿勢の乱れから激しい喘息と咳嗽が生じる様。形貌の前屈みとは、坐しながら頭を垂れ身体を曲げる姿勢。杖に頼る立ち姿とは、威儀を保ちつつ杖の支え無しでは立てない状態をいう。

原文:昏昧とは何か。臥す威儀において深く眠り込むことを指す。羸劣とは何か。この状態において覚醒する力なきことをいう。減損とは何か。念と慧の衰退を指す。衰退とは何か。念慧劣るが故に善法を現行できぬことをいう。諸根の老熟とは何か。身体が衰弱することを指す。功用の破壊とは何か。境に対する明敏さを失うことをいう。諸行朽ち果つとは何か。命終わらんとする時を指す。

釈:昏昧とは横臥し意識が朦朧とする状態。羸劣とは覚醒する体力を失ったこと。減損とは記憶力と智慧の衰退。衰退とはこれらが弱り善法が顕現し得ぬ状態。諸根の老熟とは身体の衰弱。功用破壊とは物事への反応が鈍くなること。諸行朽ち果つとは命終の時が近づいたことを示す。

回向文:インターネットを通じた全ての法施と共修の功徳を、法界の一切衆生と世界の民衆に回向し、世界の平和と戦争の終熄を祈願す。烽火絶え武器永久に息み、一切の災厄退散せんことを。諸国民の協力と慈愛に満ちた交流を願い、五穀豊穣と国家安泰を祈る。全ての衆生に因果を深く信じ、殺生を戒め、善縁を結び善業を修め、仏法を信じ学び善根を増長せんことを。苦を知り集を断ち、滅を慕い道を修め、悪趣の門を閉じ涅槃の路を開かんことを。仏教の興隆と正法の永住を祈り、三界の火宅を極楽の蓮邦となさんことを。

——生如法師の開示
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