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日常法話

2022年03月23日    水曜日     第1開示 合計3594開示

瑜伽師地論第十巻十二因縁釈(五)

原文:その形の腐敗とは何を指すか。謂わく、寿量が尽きんとし、身形が壊れんとし、諸々の事業に対して、もはや機能を有しない状態をいう。この老いの略義とは、謂わく、依止(身体)の変壊、鬚髪の変壊、充悦(精神の充実感)の変壊、火力(体内の熱エネルギー)の変壊、無病(健康)の変壊、色相(容貌)の変壊、威儀(立ち居振る舞い)の変壊、無色の諸根(意根など)の変壊、有色の諸根(五根)の変壊、時分が過ぎ、寿量が尽きんとすることを指す。略義は知るべきである。彼彼の有情とは何か。謂わく、那落迦(地獄)などの衆生を指す。有情の種類とは何か。謂わく、即ちそれら一切の衆生を指す。

釈:形体の腐敗とはどういう意味か。寿命がまさに尽きようとしており、身体の形態が崩壊に直面し、なすべき事業に対して、もはや能力を有しなくなった状態を意味する。老いの大略的な意味は、依止となる身根が衰変し、鬚髪が白く変わり衰えること、精神状態が衰えること、身体の火力(活力)が弱まること、健康が損なわれること、色身の相貌が衰えること、行住坐臥の威儀が劣化すること、無色相の意根が衰えること、有色相の五根(眼・耳・鼻・舌・身)が衰えること、生きる時間がほとんどなくなり、寿命がまさに尽きようとしていることである。意根はどのように衰えるのか。例えば現れる種々の癔病(ヒステリー)、精神疾患、心理障害などをいう。彼彼の有情とは何か。これは地獄などの六道の衆生を指す。有情の種類とはどういう意味か。一切の衆生すべてを指す意味である。

原文:終わりとは何か。謂わく、諸々の有情が、肢節(四肢関節)が解けることなくして死ぬことをいう。尽きるとは何か。謂わく、諸々の有情が、肢節が解けることによって死ぬことをいう。壊れるとは何か。謂わく、識(八識)が身体から離れることをいう。没するとは何か。謂わく、諸々の色根(五根)が滅することをいう。寿を捨つとは何か。謂わく、息がまさに尽きんとする段階をいう。暖(体温)を捨つとは何か。謂わく、動かなくなる段階(五蘊の活動が停止する)をいう。諸蘊を棄捨する。命根が謝滅するとは何か。謂わく、寿命が尽きて死ぬこと(時死)をいう。

釈:終わりとは何か。終わりとは一切の有情衆生の生命が尽き、四大(地水火風)が分解し、色身の肢節が離れ崩れ死に近づいた状態をいう。尽きるとはどういう意味か。全ての有情衆生の身根の肢節が分解し、四大がすべて分離して死ぬことを意味する。壊れるとはどういう意味か。八つの識がすべて身体から離れることを意味する。没するとはどういう意味か。すべての有色の五根(眼・耳・鼻・舌・身)が滅することを意味する。寿を捨つとはどういう意味か。息(呼吸・生命エネルギー)がまさに消え尽きようとする段階を意味する。暖(体温・生命の暖気)を捨つとはどういう意味か。五蘊が停滞して動かなくなり、すべて捨てられた状態を意味する。命根が謝滅するとはどういう意味か。死亡したことを意味する。

原文:死とは何か。謂わく、横縁(不慮の災難や事故)に遇い、時ならずして死ぬことをいう。時運が尽きるとは何か。謂わく、死んで間もない段階をいう。また死魔の業(死をもたらす悪業)を時運が尽きるという。この死の略義とは、謂わく、死そのもの、死に至る方法、死の種々の相違、死後の状態を指す。これを略義という。このようにこれを、縁起の差別(老死支の詳細な相)と知るべきである。

釈:死とはどういう意味か。非常に強い逆縁(災難や障害)に遭い、寿命が尽きる前に死ぬこと、つまり横死を意味する。時運が尽きるとはどういう意味か。死んでまだそれほど時間が経っていない状態を意味し、死をもたらす魔の業(死魔の働き)も時運が尽きるという。この死の大略的な意味は、死亡そのもの、どのように死んだか、死の種々の違い(様相)、死後の行く先を含み、これが死の大略的な意味であり、死の縁起の差別(詳細な相)とも呼ばれる。

回向文:私たちのネットワークプラットフォームにおける全ての弘法と共修の功徳をもって、法界の一切衆生に回向し、世界の民衆に回向します。願わくは世界が平和となり、戦争が起こらず、烽火が上がらず、武器が永遠に廃れ、一切の災難がことごとく消退しますように。願わくは各国の人民が団結し助け合い、慈しみの心をもって互いに接し、風雨順調で、国が泰安で民が安寧であるように。願わくは一切衆生が因果を深く信じ、慈しみの心で殺生せず、広く善き縁を結び、広く善き業を修め、仏を信じ学び、善根を増長し、苦を知って集(煩悩の原因)を断ち、滅(涅槃)を慕い道を修め、悪趣の門を閉ざし、涅槃の道を開きますように。願わくは仏教が永遠に興隆し、正法が永く住み、三界の火宅(迷いの世界)を変じて極楽の蓮華の邦となりますように。

——生如法師の開示
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