衆生無辺誓い度す
煩悩無尽誓い断つ
法門無量誓い学ぶ
仏道無上誓い成す

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日常開示

2022年03月21日    月曜日     第1 回の開示 合計3592回の開示

瑜伽師地論第十巻十二因縁釈(三)

問。いかなる義によって七有を建立するのか。すなわち那落迦・傍生・餓鬼・人・天有・業有・中有をいう。答。三種の所作によってなり。一に能引有というは一を謂い、二に趣有有というは一を謂い、三に受用果有というは五を謂う。生とは何か。胎生と卵生の二生において、初めて托生する時をいう。等生とは何か。すなわちその身分が円満しながら、未だ出でざる時をいう。趣とは何か。それより出づることをいう。起とは何か。出でて後に増長することをいう。出現とは何か。湿生と化生の二生において、身分が頓に起ることをいう。

釈:問。いかなる理によって七種の有(地獄・畜生・餓鬼・人・天人・業有・中有)を建立したのか。答。三種の所作によって七有に分ける。第一は三界の有を引く能い、すなわち業有。第二は三界の有に趣く中有。第三は果報を受用する五道衆生の有である。

生とは。胎生と卵生の衆生が初めて生を受ける時を指す。等生とは。胎卵の中で身分が円満しながら未だ出生せず、俗に「出生を待つ」という状態をいう。趣とは。胎卵より出ることをいう。起とは。出生後の成長段階をいう。出現とは。湿生と化生の衆生が頓時に身体を現すことを指す。

原文:蘊得とは何か。すなわちそれらの生位において五取蘊が転ずること。界得とは何か。それら諸蘊の因縁に摂せられた性をいう。処得とは何か。それら諸蘊の余縁に摂せられた性をいう。諸蘊の生起とは何か。それら諸蘊が日々飲食によって養われ命根を長じること。出現とは何か。それら諸蘊が余寿の力によって相続して住することをいう。

釈:蘊得とは。一切の生位において色受想行識の五取蘊が顕現することを指す。界得とは。五取蘊の種々の因縁に摂された属性をいう。処得とは。五取蘊の他の因縁(内六処・外六処)に摂された根塵相接する属性を指す。諸蘊の生起とは。五取蘊が飲食で命根を維持し続けること。出現とは。生命体が五取蘊の余寿によって相続存続することをいう。

界得は「界を得る」と解し、法界(根界・塵界・識界)を含む。五蘊において各根・各塵・各識はそれぞれ異なる属性を持ち、法と法の間に境界を生じ、法が現れることを界得という。

回向文:当ネットプラットフォームにおける全ての弘法と共修の功徳を、法界の衆生に回向し、世界の民衆に回向します。世界の平和を祈願し、戦争なく、烽火起こらず、干戈永遠に止み、一切の災害消退せんことを。各国人民が団結し慈心をもって相助け、風雨順い国泰民安ならんことを。全ての衆生が因果を深く信じ、慈心をもって殺生を断ち、善縁を広く結び、善業を修め、仏法を信じ学び、善根を増長し、苦を知り集を断ち、滅を慕い道を修め、悪趣の門を閉じ涅槃の路を開かんことを。仏教の永興、正法の永住を祈願し、三界の火宅を極楽の蓮邦とならしめんことを。

——生如法師の開示
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