衆生无边誓願度
煩悩无尽誓願断
法門無量誓願学
仏道無上誓願成

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日常開示

2022年03月20日    日曜日     第1 回の開示 合計3591回の開示

瑜伽師地論第十巻十二因縁釈(二)

原文:欲取とは何か。諸欲に対するすべての欲貪をいう。見取とは何か。サトカヤ見を除き、その他の見解に対するすべての欲貪をいう。戒禁取とは何か。邪願によって生じた戒禁に対するすべての欲貪をいい、例えば外道が苦行によってすべての罪業を滅ぼせると考え、耐え難い苦しみを自ら受け、無駄に己を痛めつけることを誓願し、この戒禁を固執することをいう。我語取とは何か。サトカヤ見に対するすべての欲貪をいう。最初の欲取は欲界の苦果を生じ、他の三つは三界の苦果を生ずる。

釈:欲取とは欲界のすべての法に対する貪欲と執着をいう。見取とは我見を除き、他の知見に対する貪欲と執着をいう。戒禁取とは理に適わない邪願によって生じた禁戒に対する貪欲と執着をいい、例えば外道が苦行で罪業を滅ぼせると考え、日々耐え難い苦しみを自ら受け、無駄に己を痛めつけることを誓願し、この戒禁を固執することを指す。我語取とは我見によって生じるすべての貪欲と執着をいう。第一の欲取は欲界の苦果を生じ、見取・戒禁取・我語取は三界の苦果を生ずる。

欲界の法を取れば欲界の生死輪廻から離れられず、色界・無色界や諸仏国土へ往生できず、涅槃も得られない。欲界の衆生のみが欲界の法を取り、色界・無色界の衆生はそれぞれの界の法と涅槃・他仏国土を取る。我見以外の知見は邪見が多く、例えば五陰身を大梵天の創造や神力によるものと見做し、この邪見を執取すれば正見を得ず解脱できない。我見から生じる欲貪は広範で、我見を断たない衆生は皆この欲貪を持つ。

原文:欲有とは何か。欲界の前時に存在する業有・死有・中有・生有、及び地獄・畜生・餓鬼・人・天の有を総称して欲有という。これは先に造作した諸行煩悩が摂受し熏発したものである。色有とは何か。地獄・畜生・餓鬼・人を除いた残りを色有という。無色有とは何か。中有を除いた残りを無色有という。

釈:欲有とは欲界に生じる時の存在をいい、業行の有・死の有・中有・生の有、及び地獄・畜生・餓鬼・人・欲界天の有を包括する。これは過去に造作した欲界の諸行煩悩業が摂受熏発した結果である。色有とは地獄・畜生・餓鬼・人を除く存在をいい、業有・死有・中有・生有を含む。無色有とは色有から中有を除いた存在をいい、業有・死有・生有を含む。

欲界有とは欲界の諸行、身口意の行・受想行識・境界、五蘊の行う戒定慧、及び貪瞋痴無明煩悩を指す。色界有は色界の諸行、身行意行・受想行識・境界と定慧を含む。無色界有は無色界の諸行、意行・受想行識と禅定の境界を指す。

回向文:当ネットプラットフォームにおけるすべての弘法と共修の功徳を、法界の衆生に回向し、世界の民衆に回向いたします。世界の平和と戦争の消滅を祈願し、烽火起こらず干戈永遠に止み、一切の災害消退を祈ります。各国人民の団結互助と慈心相向かい、風雨順調に国泰民安なることを祈願します。一切衆生が因果を深く信じ慈心をもって殺生を断ち、善縁を広く結び善業を修め、仏法を信じ学び善根を増長し、苦を知り集を断ち滅を慕い道を修め、悪趣の門を閉じ涅槃の路を開かんことを。仏教の永興と正法の永住を祈り、三界の火宅を極楽の蓮邦に変ぜんことを願います。

——生如法師の開示
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