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日常法話

2022年03月08日    火曜日     第1開示 合計3582開示

瑜伽師地論 第九巻 十二因縁釈(九)

原文:業に対する無知とは何か。諸々の業について、理にかなわない分別を起こし、作者が存在するとする、あらゆる無知を指す。異熟に対する無知とは何か。異熟果に摂せられる諸行について、理にかなわない分別を起こし、受者があるとする、あらゆる無知を指す。業と異熟に対する無知とは何か。業とその果報について、理にかなわない分別を起こす、あらゆる無知を指す。

解釈:業行に対する無知とは何か。一切の業行に対し理にかなわない分別を起こし、業行には造作者が存在すると見なす、これに類するあらゆる無知が、すなわち業行に対する無知である。異熟果に対する無知とは何か。異熟果によって摂せられる諸行に対し、理にかなわない分別を起こし、異熟果には承受者が存在すると説く、これに類するあらゆる無知が、すなわち異熟果に対する無知である。業行と異熟に対する無知とは何か。業行及びその業果に対し、理にかなわない分別を起こす、これらのすべての無知が、すなわち業行と異熟果に対する無知である。

なぜ一切の業行に造作者が存在すると考えることが無知なのか。業行は縁起の法であり、因縁が和合した法であって、虚妄の仮法であり実体がないからである。異熟果とは何か。前世で業を造って感得した後世の果報が、すなわち異熟果である。果報がある以上、果報を受ける有情衆生が存在するが、有情衆生は縁起の体であり、因縁が和合した法であって実体ではない。したがって、異熟果に受者が存在すると見なすことが無知なのである。同様に、業行に対して造作者が存在すると考えること、異熟の果報に対して承受者が存在すると考えることは、いずれも無知に属する。

原文:仏に対する無知とは何か。仏の菩提について、あるいは思惟せず、あるいは邪に思惟し、あるいは放逸によって、あるいは疑惑によって、あるいは誹謗によって生じる、あらゆる無知を指す。法に対する無知とは何か。正法の善く説かれた性質について、あるいは思惟せず、あるいは邪に思惟し、あるいは放逸によって、あるいは疑惑によって、あるいは誹謗によって生じる、あらゆる無知を指す。僧に対する無知とは何か。僧の正しい行いについて、あるいは思惟せず、あるいは邪に思惟し、あるいは放逸によって、あるいは疑惑によって、あるいは誹謗によって生じる、あらゆる無知を指す。

解釈:仏に対する無知とは何か。成仏の菩提道について、あるいは思惟せず、あるいは邪に思惟し、あるいは心が放逸して精進修習せず、あるいは疑惑の心を抱き、あるいは誹謗を加える、これらのすべての無知が、すなわち仏に対する無知である。法に対する無知とは何か。正しく真実の法を善巧に演説することについて、あるいは思惟せず、あるいは邪に思惟し、あるいは放逸して精進修習せず、あるいは疑惑の心を抱き、あるいは理由なく誹謗する、これらのすべての無知が、すなわち法に対する無知である。僧に対する無知とは何か。出家僧の正しい行いについて、あるいは思惟せず、あるいは邪に思惟し、あるいは心が放逸し、あるいは疑惑の心理を抱き、あるいは理由なく誹謗する、これらのすべての無知が、すなわち僧に対する無知である。

これは仏法僧の三宝に対する無知であり、三宝の功徳を心を用いて思惟せず、正しく思惟せず、あるいは疑惑を抱き、あるいは心に誹謗を生じる、種々の身口意の行いがすべて無知である。三宝に対する無知の結果は、生死の苦海に沈淪し、解脱を得られないことである。

原文:苦に対する無知とは何か。苦が苦性であることについて、あるいは思惟せず、あるいは邪に思惟し、あるいは放逸によって、あるいは疑惑によって、あるいは誹謗によって生じる、あらゆる無知を指す。苦についてのごとく、集・滅・道に対する無知についても同様に知るべきである。

解釈:苦に対する無知とは何か。苦に苦性があるという理について、あるいは思惟せず、あるいは邪に思惟し、あるいは放逸して精進思惟せず、あるいは疑惑の心理を抱き、あるいは誹謗を加える、これらのすべての無知が苦に対する無知である。苦に対する無知がこのようであるならば、苦集・苦滅・苦滅道迹に対する無知も同様であり、これを苦集に対する無知、苦滅に対する無知、苦滅道迹に対する無知という。

回向文:当ネットプラットフォームにおけるすべての弘法と共修の功徳をもって、法界の一切衆生に回向し、世界の民衆に回向いたします。世界平和を祈願し、戦争が起こらず、烽火が興らず、干戈が永遠に止み、一切の災難がことごとく消退しますように。各国の人民が団結し互助い、慈心をもって相い向かい、風雨順調で国泰民安となりますように。一切衆生が因果を深く信じ、慈心をもって殺生せず、広く善縁を結び、広く善業を修め、仏を信じ学び、善根が増長し、苦を知り集を断ち、滅を慕い道を修め、悪趣の門を閉ざし涅槃の路を開きますように。仏教が永く興隆し、正法が永く住し、三界の火宅を極楽の蓮邦に変えられますように。

——生如法師の開示
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