衆生无边誓願度
煩悩无尽誓願断
法門無量誓願学
仏道無上誓願成

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日常法話

2022年03月07日    月曜日     第1開示 合計3581開示

瑜伽師地論 第九巻 十二因縁釈(八)

問。いかなる意義を顕わすために縁起を建立するのか。答。因縁によって摂される染汚と清浄の意義を顕わすためである。縁起の差別とは何か。前際に対する無知などをいう。経典に広く説かれている通りである。

前際に対する無知とは何か。過去の諸行について不如理な分別を起こすことである。すなわち「私は過去において本当に存在したのか。存在しなかったのか。いかなる体性であったのか。いかなる種類であったのか」というすべての無知をいう。後際に対する無知とは何か。未来の諸行について不如理な分別を起こすことである。すなわち「私は未来において存在するべきか。存在しないべきか。いかなる体性となるべきか。いかなる種類となるべきか」というすべての無知をいう。

前後際に対する無知とは何か。内的に不如理な猶予を起こすことである。すなわち「いったい何が私なのか。私はいかなるものなのか。今この有情はどこから来たのか。ここで没した後、どこへ往くのか」というすべての無知をいう。

三世に対する無知とは、因果と輪廻に対する無知であり、生死に対する無知である。これは衆生の最大の無知であり、根本無明あるいは無始無明ともいう。

内的に対する無知とは何か。各別の諸行について不如理な作意を起こし、それを「我」と謂うことによるすべての無知をいう。外的に対する無知とは何か。外的な非有情数である諸行について不如理な作意を起こし、それを「我所」と謂うことによるすべての無知をいう。内外に対する無知とは何か。他者の相続する諸行について不如理な分別を起こし、怨敵・親族・中立者に関するすべての無知をいう。

内的に対する無知とは、自身の五蘊身を指す。外的に対する無知とは、六塵境界を指す。内外に対する無知とは、他衆生の五陰身と六塵境界を指す。内外の法をことごとく我や我所と見なし、実法として執取することが無知である。

回向文:私たちのネットワークプラットフォームにおけるすべての弘法と共修の功徳をもって、法界の衆生に回向し、世界の民衆に回向します。世界平和を祈願し、戦争が起こらず、烽火が興らず、干戈が永遠に止み、あらゆる災難がことごとく消退することを祈ります。各国の人民が団結して助け合い、慈心をもって相対し、風雨順調で国泰民安であることを祈ります。すべての衆生が因果を深く信じ、慈心をもって殺生せず、広く善縁を結び、広く善業を修め、仏を信じて学び、善根が増長し、苦を知って集を断ち、滅を慕って道を修め、悪趣の門を閉ざし涅槃の路を開くことを願います。仏教が永く興隆し、正法が永く住することを祈願します。三界の火宅を変じて極楽の蓮邦とならんことを。

——生如法師の開示
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