原文:縁起の体とは如何なるものか。略説すれば、三種の相によって縁起を建立する。所謂、前際より中際に生じ、中際より後際に生ず。中際に生じた後、若しくは流転の趣に赴き、若しくは清浄究竟の趣に赴く。
釈:縁起の体とは何か。簡略に言えば、前世の五蘊の身、現世の五蘊の身、後世の五蘊の身という三種の相によって建立された自體である。三種の相とは、前世の縁によって現世に生じた五蘊の身の縁起体、現世の縁によって後世に生じる五蘊の身の縁起体、現世に生じた五蘊の身の縁起体が二種の異なる結果を生むことである。一つは六道の生滅流転に赴き続けること、もう一つは究竟清浄に赴くことである。
縁起の体とは種々の因縁によって生起した五蘊の身を指す。五蘊の身は生生世世を流転し、毎世の流転は前世の業力と因縁に関わり、また現世の業力と因縁にも関わる。後世の流転は全て現世の業と因縁に関係する。現世において無明と結縛を破れば、後世は清浄に赴き生滅輪廻を滅する。然らずんば依然として六道輪廻を流転する。縁起の体には三種の相がある:前世相、現世相、後世相。五蘊の身は前世・今世・後世に分かれ、三つの相は因縁と業力によって同異がある。
原文:如何にして前際より中際に生じ、中際に生じた後、再び流転の趣に赴くか。謂わく、或る者が前際の無明に包含されたことを了知せず、無明を縁として、福・非福及び不動の身口意の業を、若しくは作り若しくは増長する。これにより随業識は命終に至るまで流転絶えず、能く後有の相続識の因となる。
釈:前世の因縁によって現世に生じた縁起体が、現世に生まれた後再び生滅流転に赴くのは何故か。これは或る縁起体の衆生が、前世の自心の無明を知らぬが故に現世の生滅流転を有し、現世も依然として無明の故に、福ある身口意の業行を作り、或いは福なき身口意の業行を作り、或いは福にも非ず福にも非ざる清浄不動の身口意の業行を作り、更に進んで福業・非福業・非福非非福の清浄不動の身口意の業行を増長するためである。これらの業行の造作により、業力に随って運転する六・七識は、五蘊の身を命終に至るまで流転継続させ、後世の三有において六識が生じる因となる。
随業識とは六・七識を指し、主に第七識をいう。具体的に業行を造作するのは六識であり、業行を主導し指揮するのは第七識の意根である。五蘊の身が造作する一切の業種は常に阿頼耶識に収蔵され、阿頼耶識はこれらの業種に随って絶えず業種に相応する五蘊の身を生じ変じる。業力ある所には必ず意根と六識の運転があり、当然阿頼耶識の運転もある。染汚業であれ清浄業であれ、阿頼耶識自身は生滅流転の中にない。意根第七識は生生世世、自身の業力に随って流転し、意根と業力は須臾も分離せずに結び付いている。六識は断続的であり、常に業力と共にあるわけではない。六識の生起流転も、意根と業力の不滅の故、また意根の無明の故である。
回向文:当ネットプラットフォームにおける一切の弘法と共修の功徳を、法界の衆生に回向し、世界の民衆に回向す。世界の平和を祈願し、戦争起こらず、烽火興らず、干戈永遠に止むことを。一切の災難尽く消退せんことを。各国人民の団結相助け、慈心相向かうことを祈願す。風雨時に順い、国泰民安んぜんことを。一切衆生が因果を深く信じ、慈心をもって殺生せず、善縁を広く結び、善業を広く修め、仏法を信じ学び、善根を増長し、苦を知り集を断ち、滅を慕い道を修め、悪趣の門を閉じ、涅槃の路を開かんことを。仏教の永き興隆、正法の永住を祈願し、三界の火宅を極楽の蓮邦となさんことを。
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