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日常法話

2022年03月01日    火曜日     第1開示 合計3575開示

瑜伽師地論 第九巻 十二因縁釈(二)

原文:この識が果を生じようとする時、内外の貪愛によって、正に現在前に現れ、助伴として、その前際から命を捨てた後、現在世において自體を得て生じる。母の胎内において、因識を縁として、相続する果識が前後次第に生じ、乃至羯羅藍等の位の差別を経て、母胎中で転じる。相続する果識は名色とともに、乃至衰老に至るまで次第に増長する。この時、生を受ける業の名を感得し、異熟果とともにある。

釈:随業識が業果身を現じようとする時、内外の境界に対する貪愛が現前し、貪愛を助縁と伴侶として、前世の命根を捨てた後、現世の五蘊身の自體が出生する。五蘊縁起體は母胎内において、自體が出生する前世の六識である因識を縁として、業果相続を受ける今世の果報識である六識が前後次第に出生し、乃至母胎内において各段階の異なる胎體が相続して転じ出される。相続する業果を受ける六識は五蘊名色とともに流転し、五蘊身は次第に増長して衰老に至る。この時、業力の故に、業果を受ける六識の名と異熟果報とを感得する。

意根と阿頼耶識が生を受けようとする時、随業識である意根と意識が未来世の色身に対する貪愛、及び未来世の父母に対する男女の欲愛が現れ、この貪愛を助伴として母胎に入る。もし貪愛がなければ、二つの状況が生じる。一つは生を受けないこと、二つは清浄心をもって生を受けることである。貪愛なき者は欲界の貪を捨てた聖人であり、聖人が生を受けない場合、化生する可能性があり、あるいは無余涅槃に入る可能性がある。聖人が生を受ける場合は、清浄なる大願があるため、願力によって生を受ける。

ここに因識と相続果報識という二つの概念を説明する必要がある。因とは今世の名色が出生する前世の因を指し、前世における六識による身口意行が業種を残し、業種が成熟して初めて今世の名色が生じ、名色が出生した後に今世の六識が出生し、前世の造業による業果を受ける。故に今世の六識は名色が受報して前世から続く相続の果報識であり、前世の六識は今世の果報を招く因となり、因識と呼ばれる。

原文:またこの異熟識は、即ち名色に依って転じる。必ず六依転に依托せざるを得ない故である。是の故に経に言う、名色は識を縁とす、と。倶有依根を色と曰い、等無間滅依根を名と曰う。随ってその応じる所に従い、六識の依る所となる。それに依止する故に、乃至命終まで諸識は流転する。

釈:阿頼耶識はまた異熟識とも呼ばれ、異熟識は名色に依って転じる。異熟識は必ず六根に依托しなければ転じ得ない故に、経中に「名色は阿頼耶識あるいは異熟識を縁として出生する」と説かれる。阿頼耶識とともに転じる根を色、即ち受精卵と呼び、阿頼耶識と同時に転じる所依根を名、即ち意根と呼ぶ。意根は六識の識種子が等無間生滅相続する所依の根である。かくして阿頼耶識は名色とともに転じ、六識はそれに依って出生する。六識は阿頼耶識と名色に依止して止むことなく転じ、命終に至る。

五蘊七識は流転の過程において業行を造り、業種を残すため、後世の業果が生じる。業行は阿頼耶識に依止して存在し、業果は阿頼耶識によって現じられる。故に阿頼耶識は異熟識とも呼ばれ、五蘊七識が業種成熟時に異なる形態で業果を受けることを可能にする。しかし阿頼耶識は単独では転じ得ず、意根と業力との配合を必要とする。意根と業果が必要とする時にのみ転じ、心の行相が有り、発見され得る。もし意根と業果が必要としなければ、阿頼耶識は転じず、運行する行相もなく、発見されることもない。

故に阿頼耶識は必ず受精卵と意根に依って母胎中で運作し、その後六識を出生させる。そのため名色もまた六識出生の所依根であり、六識出生後は名に摂められる。阿頼耶識が必ず意根に依って初めて転じ得るため、意根は阿頼耶識転起の倶有依とも呼ばれる。しかし阿頼耶識が意根に依って存在するわけではなく、意根がなくても阿頼耶識は依然として存在する。ただ五蘊世間の一切法を運作できなくなるだけである。母胎中では、最初は受精卵の色と意根の名のみがある。故に等無間滅の六識が依止する根は意根であり、六識は意根と受精卵に依止して出生・運行し、また阿頼耶識と業種に依って出生・運行する。

回向文:我々のネットワークプラットフォームにおける全ての弘法と共修の功徳を以て、法界の一切衆生に回向し、世界の民衆に回向する。願わくは世界が平和となり、戦争起こらず、烽火興らず、干戈永く止み、一切の災難ことごとく消退せんことを。願わくは各国の人民が団結して助け合い、慈心をもって相向かい、風雨順い時を得て、国泰く民安んぜんことを。願わくは一切衆生が因果を深く信じ、慈心をもって殺生せず、広く善縁を結び、広く善業を修め、仏を信じ学び、善根を増長し、苦を知って集を断ち、滅を慕いて道を修め、悪趣の門を閉ざし、涅槃の路を開かんことを。願わくは仏教が永く興隆し、正法が永く住し、三界の火宅を極楽の蓮邦となさんことを。

——生如法師の開示
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