原文:この識が果を生じようとする時、内外への貪愛によって、正に現在前に現れ、助伴として、その前際より命を捨てた後、現在世において自體を得て生じる。母の胎内において、因識を縁として、相続する果識が前後次第に生じ、乃至羯羅藍等の位の差別に至るまで、母胎の中で転じる。相続する果識は名色と共に、乃至衰老するまで漸次に増長する。この時、生を受ける業の名を感じ、異熟果と共にある。
釈:業識が業果身を現じようとする際、内外の境界への貪愛が現前し、貪愛を助縁と伴侶として、前世の命根を捨てた後、現世の五蘊身自體が出生する。五蘊の縁起體は母胎内において、自體を生じる前世の六識因識を縁として、業果相続する今世の果報識である六識が前後次第に生じ、母胎内における各段階の胎體が相続的に転じる。相続する業果の六識は五蘊名色と共に流転し、五蘊身は漸次に増長して衰老に至る。この時、業力の故に業果を受ける六識の名と異熟果報が感得される。
意根と阿頼耶識が転生しようとする時、随業識である意根と意識が来世の色身への貪愛、及び来世の父母への男女の欲愛が現前し、この貪愛を助伴として母胎に入る。貪愛が無ければ二種の状況が生じる。一つは転生せず、二つは清浄心をもって転生する。貪愛を捨てた者は欲界の貪を離れた聖者であり、聖者が転生しない場合は化生するか無余涅槃に入る。聖者が転生する場合は清浄な大願を持ち、願力によって転生する。
ここに因識と相続果報識の二概念を説明する。因とは今世の名色が生じる前世の因を指し、前世における六識の身口意行が業種を残し、業種が成熟して今世の名色が生じる。名色出生後に今世の六識が生じ、前世の業果を受けるため、今世の六識は名色が受報し前世から続く果報識であり、前世の六識は今世の果報を招く因となり、これを因識と呼ぶ。
原文:またこの異熟識は、即ち名色に依って転じる。必ず六依転に依托するが故に、経に「名色は識を縁とす」と説く。俱有依根を色と曰い、等無間滅依根を名と曰う。その応に随って六識の依る所となり、彼に依止するが故に、乃至命終まで諸識は流転す。
釈:阿頼耶識は異熟識とも呼ばれ、名色に依って転じる。異熟識は六根に依托せざるを得ないため、経中で名色が阿頼耶識(異熟識)を縁として生じると説かれる。阿頼耶識と共に転ずる根を色(受精卵)と称し、阿頼耶識と同時に転ずる所依根を名(意根)と称する。意根は六識の種子が等無間に生滅相続する所依の根であり、阿頼耶識は名色と共に転じ、六識がこれに依って生じる。六識は阿頼耶識と名色に依止して流転を続け、命終に至る。
五蘊七識は流転の過程で業行を造り業種を残すため、後世の業果が生じる。業行は阿頼耶識に依止して存在し、業果は阿頼耶識によって現じられるため、阿頼耶識は異熟識とも呼ばれ、五蘊七識が業種成熟時に異なる形態で業果を受けることを可能にする。阿頼耶識は単独で転じず、意根と業力に依り、意根と業果が必要とする時にのみ転じ、心の行相を有し発見され得る。意根と業果が必要とされない場合、阿頼耶識は転じず、行相も無く発見されない。
故に阿頼耶識は必ず受精卵と意根に依って母胎内で運転し、続いて六識を生じる。従って名色も六識出生の所依根であり、六識出生後は名に摂される。阿頼耶識が意根に依らねば転じ得ないため、意根は阿頼耶識転の俱有依とも呼ばれるが、阿頼耶識が意根に依存して存在する訳ではない。意根が無くとも阿頼耶識は存在するが、五蘊世間の一切法を運転できなくなる。母胎内では最初に受精卵の色と意根の名のみ存在し、等無間滅の六識が依止する根は意根である。六識は意根と受精卵、阿頼耶識、業種に依って出生・運転する。
回向文:当ネットプラットフォームにおける全ての弘法と共修の功徳を、法界の衆生に回向し、世界の民衆に回向いたします。世界の平和と戦争の消滅を祈願し、烽火の起こらぬこと、干戈の永く止むこと、一切の災難の退散を祈ります。各国人民の団結互助と慈心以て相対することを願い、風雨順時にして国泰民安ならんことを。一切衆生が因果を深く信じ、慈心をもって殺生を断ち、善縁を広く結び、善業を修め、仏法を信じ学び、善根を増長し、苦を知り集を断ち、滅を慕い道を修め、悪趣の門を閉ざし涅槃の路を開かんことを。仏教の永き興隆と正法の永住を祈り、三界の火宅を極楽の蓮邦とならしめんことを。
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