いつも私にこう言う人がいます:「お師匠様、私は悟りを証したい、心を見性したい、七住の位階に至りたいのですが、どう修行すればよいのでしょうか?お師匠様、お助けいただけませんか?」
このような考えを持つ人々は、いかなる心の状態なのでしょうか?私はどう彼らを助ければよいのでしょうか?世の中に利益のある所には人々が群がり、仏教に利益のある所にも同様に人々が群がります。なぜ衆生は利益のある所へ向かうのでしょうか?自我があり、所有の概念があり、執着があるからこそ、求める心が生じるのです。自我のある心で、求める心を持って、仏法上の利益を求めるならば、果たして得られる利益などあるでしょうか?無我無求こそが悟りの境地をもたらすのであり、自我と執着があって得られる悟りなど存在しえません。
仏法を学ぶこうした衆生は、得られる悟りがあると考え、仏法の中にある悟りの利益を見て、利益のある所へまっしぐらに向かい、奪い取ろうとします。このような態度で、いったいどのような悟りの証が得られるというのでしょうか?なぜ今、偽りの悟りが蔓延しているのでしょうか?得ようとする心で偽りの悟りを奪い取った者が、どうして三悪道に堕ちずにいられるでしょうか?心の中の悟りが空でなく、利益が空でなく、名誉や利益が空でないならば、どうして我見を断ち切れるでしょうか?我見を断たずして、どうして悟りを得られるでしょうか?
無我・無人・無衆生・無命者こそが我見を断ち切り悟りを証する道であり、得ようとする心で偽りの悟りを得た者は、我見と我執を増長させ、我相・人相・衆生相・寿者相をますます強くし、道に背き、逆行するのです。道は解脱であり、背くことは生死です。世俗は名利の場であり、ある者たちの目には仏教界も同様に名利の場と映り、得られる名誉や利益を求め、仏教における名利を追い求めることは、より一層生死の輪廻へ向かわせるのです。
回向文:私たちのネットワークプラットフォームにおける全ての弘法と共修の功徳をもって、法界の一切衆生に回向し、世界の民衆に回向いたします。世界の平和を祈願し、戦争が起こらず、烽火が上がらず、武器が永遠に鎮まりますように。あらゆる災害がことごとく消え去りますように。各国の民衆が団結し助け合い、慈しみの心をもって互いに接しますように。風雨は順調に巡り、国は泰(やす)く民は安らかでありますように。一切衆生が因果を深く信じ、慈しみの心で殺生をせず、善き縁を広く結び、善き業を広く修め、仏を信じ仏法を学び、善根が増長しますように。苦を知りその原因を断ち、悟りの境地を慕い道を修め、悪趣の門を閉ざし涅槃の道を開きますように。仏教が永遠に興隆し、正法が永く住み続けますように。三界の火宅を変じて極楽の蓮華の世界となりますように。
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