衆生无边誓願度
煩悩无尽誓願断
法門無量誓願学
仏道無上誓願成

生如法师のウェブサイトロゴ

日常開示

2022年01月28日    金曜日     第1 回の開示 合計3570回の開示

十二因縁における意根の決定的作用

衆生に生老病死という純粋なる大苦の集まりがあるのは、すべて無明があるためであり、この無明とは意根の無明である。意根に無明があるからこそ心行の思心所が生じ、思心所があれば業を造る選択が生じ、その後六識が現れる。十二因縁の最初の二支分は意根に属し、第三支分の六識も意根によって現れるものである。故に意根は生死に対して絶対的な主導作用を持ち、他の法に対しても推進作用を及ぼす。第三支分の六識の業行でさえ、意根に随順して存在し、落謝する種子も意根によって生じる。従って後世の名色は意根によって存在するのである。意根が染汚すれば六識も染汚され、種子も染汚され、名色の苦受は増大し、特に三悪道の苦が顕著となる。

名色が増長した後、六入が生じる。六入と六塵の触は意根が主宰し、意根が多く縁すれば触も多くなり、生死の業も多くなる。縁が少なければ触も少なく、生死の業も少ない。触の後の受・愛・取には六識の受愛取が存在するが、実際に決定的作用を及ぼし次支を引き出すのは意根の受愛取である。意根に受愛取がなければ、次の支分は現れない。最後の三支である有・生・老死は完全に意根の取によって現れる。故に生死輪廻の発生において、意根は決定的な役割を果たす。

十二因縁は意根が生死の根元であることを明らかにし、解脱と沈淪は意根にかかっている。生死を超越しようとするなら、意根の問題を解決し、意根の無明を打破しなければならない。意根は四聖諦(苦・集・滅・道)の根元でもある。苦は意根の無明による心行が六識に業を造らせることから生じ、集は意根が六識に業を造らせて種子を落とすことから生じ、滅は意根の無明心行を滅除することであり、道は意根が法を証得することによって得られる。

意根が生死輪廻においてこれほど決定的な作用を有するならば、意根は一切の心所法を具足し、すべての善心所法と煩悩心所法、および不善不悪の心所法を具えている。意根の心所法は五識の心所法を決定し、意識の心所法を決定する。意根の心所法が変化すれば六識の心所法も変化し、一切の法がそれに従って変化する。意根の心所法を変化させなければ、六識の心所法が一時的に変化しても再び元に戻る。意根の煩悩が断たれなければ、意識が一時的に煩悩を断じても再び煩悩が生じる。意根に禅定がなければ、六識に禅定があっても長続きせず、必ず再び散乱する。

回向文:当ネットプラットフォームにおける全ての弘法と共修の功徳を、法界の衆生に回向し、世界の民衆に回向いたします。世界の平和を祈願し、戦争起こらず、烽火興らず、干戈永遠に止むことを。一切の災難ことごとく消退せんことを。各国人民が団結互助し、慈心をもって相対し、風雨時に順い、国泰く民安んぜんことを。一切衆生が因果を深く信じ、慈心をもって殺生せず、善縁を広く結び、善業を広く修め、仏を信じ仏を学び、善根を増長し、苦を知り集を断ち、滅を慕い道を修め、悪趣の門を閉じ、涅槃の路を開かんことを。仏教の永き興隆を祈り、正法の永住を願い、三界の火宅を変じて極楽の蓮邦とならんことを。

——生如法師の開示
前の記事前の記事

有所得の心は解脱果を得られるか

次の記事 次の記事

修定と修慧

ページのトップへ戻る