第八識は一切の法を生じることができる。この一切の法とは、衆生自身の七識が縁じ、触れ、見ることのできる一切の法を指す。衆生自身の七識が縁じられず触れられない一切の法は、必ずしも自身の第八識が生じた法ではない。しかしながら、自身の七識が縁じ、触れ、見ることのできる一切の法は、ひとつとして衆生自身の第八識が直接に生じ顕現させた法でないものはない。自身の第八識が法を生じず顕現させなければ、自身の七識は法に縁じ触れることができず、ましてや法を見ることもできず、法の存在を知ることはできない。
自身の七識が縁じ触れ見ることのできる一切の法は、一部は自身の第八識が自心の七大種子を用いて生じたものであり、一部は自身の第八識が七大種子で生じることができず、他の衆生の第八識が彼の身の第八識中の種子によって法を生じた後、自身の第八識が縁じ、そして顕現させたものである。それによって初めて自身の七識が縁じ、触れ、見ることができるのである。例えば七識が相手の五蘊身を見る場合、相手の五蘊身は相手の第八識が種子によって生じたものであり、自身の第八識が生じることはできない。しかし自身の第八識は縁じ触れることができ、相手の五蘊身を顕現させれば、自身の七識は相手の五蘊身を見ることができるのである。
自身の七識が縁じ触れ見ることのできる一切の法は、自身とは異なる他の衆生の五蘊身、および三界器世間を含み、道種智を得た時に証される真如法性、第八識の運行行相、七つの識の運行行相、八つの識の心所法、当然他の衆生の八つの識の心所法、種々の心行をも含む。この一切の法は総じて、七識の親所縁縁と疏所縁縁を含み、第八識が直接七大種子を用いて生じた法と、第八識が単に照見する他の衆生の第八識が直接生じた法を含む。他の衆生の第八識が直接生じた法の部分は、自身の第八識が自体中の七大種子で生じた法ではなく、間接的に顕現され托顕された法である。
要するに、第八識が一切の法を生じるとは、この一切の法には前提条件があり、自身の八つの識と関連する法である。無関係の法は自身の第八識が生じる一切の法の範囲には属さない。第八識は生じられた法ではないため、自身の第八識は自身の第八識を生じることも、他身の第八識および他身の第八識の心所法・運行行相を生じることもできない。他身の第八識及び心所法は、あくまで自身の第八識が顕現する法であり、ただ照見托顕されるのみで生じることはない。他身の五蘊も同様に、ただ照見され托顕されるのみで生じることはない。自身の第八識が照見托顕した後、初めて自身の七識が縁じ触れ見ることができるのであり、見られるものは実質的法ではない。実質的法とは自身の第八識が七大種子あるいは五大種子を用いて生じた法である。
回向文:我々のネットワークプラットフォームにおける全ての弘法と共修の功徳を以て、法界の衆生に回向し、世界の民衆に回向します。世界の平和を祈願し、戦争起こらず、烽火興らず、干戈永遠に止むことを。一切の災難ことごとく消退することを。各国の人民が団結し助け合い、慈心をもって相対することを祈願します。風雨時に順い、国泰くして民安んずることを。一切衆生が因果を深く信じ、慈心をもって殺生せず、広く善縁を結び、広く善業を修め、仏を信じ学び、善根増長し、苦を知り集を断ち、滅を慕い道を修め、悪趣の門を閉じ、涅槃の路を開くことを願います。仏教が永遠に興隆し、正法が永住し、三界の火宅を変じて極楽の蓮邦となることを祝愿します。
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