釈:仏は阿難に説きたまわく「汝が私を見るその見精は、色法を明らかにする本元なり。この見精は微妙精妙なる本心たる如来蔵に非ずと雖も、目をこすって生じた第二の月の如く、月の影に非ず」
仏のここに説く第二月の見精明元とは、如来蔵の見性を指すが、最も微妙なる見精の心に非ず。即ち見精明元の見性は如来蔵の微妙なる見性なり。影とは七識の見る像を指し、地水火風空より成る。
ここに第一月・第二月・月影の関係に及ぶ。第一月とは眼識の見る天空に懸かる本物の月を指し、第二月は手で目を捏ねて作られた第一月と全く同じ仿真的な偽月なり。眼識が焦点のずれにより見る虚像、或いは二重像なり。故に第一月が真実ならば、第二月を虚偽と断ずべからず。第二月の形状色彩一切の状態は第一月と全く同じく、第二月の様相を見れば即ち第一月の様を知る。
譬えば、私のコンピュータにファイル有り、ネットワークを通じて汝に送る時、私のコンピュータのファイルは源ファイル、即ち第一月に類似す。汝の受けるファイルは複製されたもの、第二月に類似し、私の源ファイルと全く同じなり。汝の受けたファイルを私の源ファイルと謂うべからず、また源ファイルと別物の偽物と謂うべからず。再び譬えば、通知書をコピー機で複写する時、複写された白紙黒字は原紙と全く同じなり。複写が原本と異なると言えず、また複写が原本そのものとも言えぬが、複写を見れば即ち原本の様を知る。第一月と第二月の関係は此の如し。
影月とは何か。影月は天空の月が川面に映る影なり。第一月と似て異なり、形状色彩共に第一月とも第二月とも異なる。川水が流れ波光揺らめけば、影月は変形し、第一月・第二月との差異更に大なり。故に第二月より更に虚妄なり。影月は光を発せず、照明せず、鑑賞のみに供され、実用価値無し。
如来蔵は第一月、七識は第二月、影月は三能変識の和合により顕現する法なり。所謂和合顕現とは、如来蔵が直接種子によって法を生じ、第七識が直接影響し如来蔵の法生起を促し、六識が第七識の選択と心意に影響し、且つ七識共同して法を了別し、心中に顕現するを指す。影月は七識心中に現れた法なり。極めて虚妄にして実質的作用価値無く、鏡中の水火の如く、渇きを癒さず、燃焼せず。但し衆生は知らず、七識は知らず、絶え間なく影月を執取し、海中の明月を掬おうとし、終に徒労に帰す。
回向文:当ネットワークプラットフォームにおける全ての弘法と共修の功徳を以て、法界の衆生に回向し、世界の民衆に回向す。世界の平和を祈願し、戦争起こらず。烽火興らず、干戈永く息む。一切の災害尽く消退せんことを。各国人民の団結相助け、慈心以て相向かわんことを祈る。風雨順い時を得、国泰く民安んぜんことを。一切衆生が因果を深く信じ、慈心以て殺生せず。善縁を広く結び、善業を広く修めんことを。仏を信じ仏を学び、善根増長せんことを。苦を知り集を断ち、滅を慕い道を修めんことを。悪趣の門を閉じ、涅槃の路を開かんことを。仏教の永き興隆を祈り、正法の永住を願う。三界の火宅を変じ、極楽の蓮邦たらしめんことを。
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