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日常開示

2021年12月27日    月曜日     第1 回の開示 合計3565回の開示

第一月・第二月・影月

楞厳経第二巻原文:仏、阿難に告げたまわく。且つ汝の我を見るは、見精の明元なり。この見は妙精の明心に非ずと雖も、第二の月の如し。月影に非ず。 

釈:仏は阿難に説かれた。あなたが私を見るその「見精」は色法を明らかにする本元である。この見精は微妙で精明な本心たる如来蔵ではないが、目を揉んで生じた第二の月のようなもので、月の影ではない。

仏がここで説く第二月の見精明元とは、如来蔵の見性を指すが、最も微妙な見精の明心ではなく、つまり見精明元の見性は如来蔵の微妙な見性である。影とは七識の見る像を指し、地水火風空によって構成される。

ここに第一月・第二月・月影の関係が関わる。第一月は眼識が見る天空に懸かる真月を指し、第二月は目を揉んで生じた第一月と全く同じ偽月で、眼識が焦点のずれによって見る虚像、あるいは重影である。故に第一月が真実なら、第二月を虚偽とは言えない。第二月の形状色彩あらゆる状態は第一月と全く同じで、第二月を見れば第一月の様子がわかる。

例えれば、私のコンピュータにあるファイルをネットで送信する時、元ファイルは第一月に類似し、受信したコピーは第二月の如く元ファイルと全く同一である。受信ファイルを元ファイルそのものとも別物とも言えず、偽物とも言えない。またコピー機で通知書を複写すれば、複写物は原紙と全く同じで、原本と異なるとも同じとも言えないが、複写を見れば原本の内容がわかる。第一月と第二月の関係はこのようなものである。

影月とは何か。空の月が川に映る影で、第一月とも第二月とも形状色彩が異なる。川の流れで波立つと影月は変形し、更に虚妄となる。影月は光を放たず照明できず、鑑賞のみ可能で実用価値がない。

如来蔵は第一月、七識は第二月、影月は三能変識の和合によって現れる法である。和合現出とは如来蔵が直接種子より法を生じ、第七識が直接如来蔵の法生起を促し、六識が第七識の選択と心に影響し、七識共同で法を了別し心中に顕現させる過程を指す。影月は七識の心に現れる法で極めて虚妄、実質的効用なく、鏡中の水火の如く渇を癒やさず燃え広がらない。しかし衆生は知らず、七識は知らず、ひたすら影月を執着し海中の月を掬い、ついに徒労に終わる。

回向文:当ネットプラットフォームにおける全ての法弘通と共修の功徳を、法界の衆生に回向し、世界の民衆に回向します。世界平和を祈願し戦争なきこと、烽火起こらず武器永久に止むこと、一切の災害尽く消退することを。各国人民が団結協力し慈心をもって相対し、風雨順調で国家安泰なることを。一切衆生が因果を深く信じ慈心をもって殺生せず、善縁を広く結び善業を修め、仏法を信じ学び善根を増長し、苦を知り集を断ち滅を慕い道を修め、悪趣の門を閉ざし涅槃の路を開くことを。仏教が永く興隆し正法常住し、三界の火宅を極楽の蓮邦となすことを祈願します。

——生如法師の開示
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