衆生无边誓願度
煩悩无尽誓願断
法門無量誓願学
仏道無上誓願成

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日常法話

2021年12月13日    月曜日     第1開示 合計3558開示

呼吸を観じることも心を修するためである

呼吸を観ずる全過程において、身体の上だけで工夫してはならず、心の上でも多く工夫しなければならない。すべての法を修するのは結局のところ心を修するためである。心は身体の主人であり、身体がある程度整調されて心に影響しなくなったならば、心の上で工夫すべきである。心が整調されて静まれば、身体もそれに従って調い順うようになる。最後の工夫はすべて心の上にあり、身体はそれほどかまわなくてよくなる。

下座した後、人との交際や、縁に歴り境に対するときに、身心がどのような反応を示すか、どのような心境であるか、煩悩はどうであるか、心態にどのような変化があるか、これらはすべて観行 (vipaśyanā-caryā) の後の結果であり、最も問題をよく示すものである。心量は大きくなったか、人を容れる度量は増したか、問題を考える際により長遠に、マクロになったか、衆生への憐憫の度合いは増したか、責任感は強まったか、大菩提心は増したか、道心は堅固になったか。心は仏教と衆生に繫がれているか。これらはすべて修行を検査する基準であり、もしまだ遠くに及ばないのであれば、それは見道からまだ遠いということであるから、引き続き努力し、精進して工夫し心を用いなければならない。

——生如法師の開示
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四正勤は実修の一つの硬指標

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凡夫は如来蔵 (tathāgatagarbha) を執すべきか

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