衆生无边誓願度
煩悩无尽誓願断
法門無量誓願学
仏道無上誓願成

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日常法話

2021年12月12日    日曜日     第1開示 合計3557開示

四正勤は実修における重要な指標です

八十二口の観行:普段は心が空ろで、根がなく、味気なく感じられ、内向きの関心が多く、外向きの関心が少ない。今は衆生に対する感覚が以前より薄れ、普段話すことも減った。法義を学ぶのは依然として好きだが、法義の弁証にはあまり興味がなく、他人と問題を議論していても、途中で話したくなくなる。以前は仕事や生活で悩みがあると眠れなかったが、今は食べる時は食べ、寝る時は寝て、忘れる時はすぐに忘れる。時に入定すると思い出して邪魔されることもあるが、またすぐ忘れる。意根が動くと、作り始めているのが感じられる。意根の動きが最も顕著なのは貪りや怒りが湧き上がる時で、よく観察しなければならない。何事をするにも、意根が必ず先に動く。

評:禅定が生じると、観行もそれに伴い、内面は変化する。禅定があるのとないのとでは大きな違いがある。禅定を得ると、外界への執着が減り、些細なことへの関心も薄れ、多くのことに関心を持たなくなる。煩悩が軽減され執着が少なくなると、智慧が次第に生じてくる。禅定の利益は語り尽くせない。もし禅定を修めなければ、それは修行ではなく、仏法を学ぶことは戯論に過ぎず、実証することはできない。禅定があって初めて観行が可能であり、観行も細やかに行き届き、大事を捉えて小事を放ち、多くの不要なことを捨てられるようになる。人も縁に従い善巧となり、頑固さが弱まり、怒りの念が軽くなり、貪りの心も弱まる。

禅定を修め観行を行うようになると、内面を反照できるようになり、心の煩悩を即時に発見し、随時調伏できるようになる。悪しき不善の念は次第に減り、善念と捨念がますます増え、四正勤(ししょうごん)が修められるようになる。未だ生じざる善は生じさせ、已に生じた善は増長させ、未だ生じざる悪は生じさせず、已に生じた悪は断除する。もし煩悩がまだ重く、心の念が善少なく悪多きならば、四正勤は修められておらず、心性は変わっておらず、我見を断って証果を得る望みはない。

故に初果を証得するには粗重な煩悩を断除し、心性が既に聖賢の心性でなければならない。もし自分は我見を断ったとか、悟りを開いたと言う者がいても、その煩悩が依然として重く見え、心性に根本的な変化がなく、貪り・怒り・嫉妬が渦巻き、至る所で争い、身口意が清浄でなければ、そのような者は自ら証果や悟りを主張しているに過ぎず、如来蔵はこれを認めない。戒律と禅定を修めず、理にかなった観行を行わず、七覚分や八正道・四正勤などを修めていない者は、誰であれ大小乗のいかなる見道も得ることは不可能である。故に四正勤を含む三十七道品は実修の指標なのである。

回向文:私たちのネットワークプラットフォームにおける全ての弘法と共修の功徳をもって、法界の衆生に回向し、世界の民衆に回向する。願わくは世界が平和で戦争が起こらず、烽火が上がらず干戈が永遠に止み、一切の災害がことごとく消退することを。願わくは各国の人民が団結し助け合い、慈しみの心をもって相対し、風雨順調で国泰民安であることを。願わくは一切の衆生が因果を深く信じ、慈心をもって殺生せず、広く善縁を結び、広く善業を修め、仏を信じ学び善根を増長し、苦を知り集を断ち滅を慕い道を修め、悪趣の門を閉ざし涅槃の路を開くことを。願わくは仏教が永遠に興隆し、正法が永住し、三界の火宅(かたく)を極楽の蓮邦となすことを。

——生如法師の開示
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