私たちは注意深く観察してみると、心が動くとき、身根も一緒に動いているのではないだろうか。心が動けば色身に変化が生じるのではないか。意根が動けば脳の神経系に変化が生じるのではないか。意根が動念するとき、必ず脳波の発生が伴う。心が動くとき、たとえば貪が生じると、このとき身体には水が生じ出てくる。瞋が生じれば怒髪天を衝き、顔が赤くなり首が太くなる。つまり心が一たび動けば身根に変化が生じるのであり、実際、身体上のこれらの変化は、すべて意根の貪瞋によって引き起こされたものである。識心が恥ずかしいと感じるとき、色身にも変化が生じる。たとえば顔が赤くなったり、心が慌てて乱れたりするなどである。意識の心行が意根に影響を及ぼすとき、色身には何らかの反応が現れる。それゆえに、身と心は相互に依存し、相互に影響し合うのだと言われるのである。
意根そのものも識心であり、感覚があり、思想があり、念頭がある。思想や念頭が一たび活動すれば脳波が生じ、脳波があればエネルギーと熱量が放出され、顔が赤く熱を帯びたり、全身が熱くなったり、そわそわと落ち着かなかったり、血が沸き立ったり、全身が震えたり、手舞足踏したりするなどである。意根の心念が動くとき、脳の中に脳波が生じる。脳の中の電流のような波動は一種のエネルギーであり、電流のように全身のあちこちへ瞬時に拡散する。このエネルギーは運動エネルギーに類似したもので、物質たる色法である。それゆえ、意根の心の動きは全身を動かすことができ、エネルギーは全身に及ぶことができる。
心はどうして物質たる色法のエネルギーを生起させることができるのだろうか。これはきわめて大きな秘密である。物質的エネルギーの生滅変異は、結局のところ三能変識の功徳である。第八識は第一能変識であり、具体的に四大種子と五大種子を提供して色法のエネルギーを生成する。熱エネルギー、位置エネルギー、運動エネルギーを含む。これらのエネルギーは、色法の中の分子、原子、電子、イオンなどの四大微粒子が生滅変異して集まったものである。もし種子が刹那刹那に生じ滅することがなければ、微粒子の中の運動エネルギーを集めることはできない。そのうち空大の種子は微粒子の中の空間を形成し、微粒子が一定の軌道に従って生滅運動を行う便宜を図る。まさにこれらの種子の生滅と微粒子の運動によって、運動エネルギー、位置エネルギー、熱エネルギーが生じるのである。これらのエネルギーは瞬時に全身に遍満し、全身の毛細血管と経絡を流れることができる。
第八識はなぜこれらのエネルギーを生じさせるのか。第二能変識である意根の心が動くからである。第八識は意根の心所法の変動に従って四大種子を変化させ、色法のエネルギーがそれに伴って生じ、変化し流転し、脳の中枢神経系から全身に伝わる。意根の指令も中枢神経系によって全身に発せられ、第三能変識の六識が生起し、意行が現れ、身行と口行が運転し、意根の指令は瞬時に完成される。神も知らず鬼も覚えぬほど、きわめて迅速である。この中の働きは無限に神秘的で、無限に複雑で、無限に精密で、無限に迅速で、無限に虚幻であり、幻の網が織り交ざり、神秘の測り知れないほどだと言える。
心はさらに、物質たる色法ではないエネルギーを生起させることもできる。これを精神的な力と呼ぶ。たとえば心力が強大であること、堅強で屈しないこと、堅毅で抜かれないこと、勇敢で強健であること、精神が奮い立つこと、闘志が高揚すること、うずうずと挑もうとすること、むずむずと動こうとすること、幾度挫折しても屈しないこと、情熱が高まること、精神が百倍になることなどである。これらの精神的な力は人にあらゆる困難を克服させ、あらゆる事業を成し遂げる無価の宝である。色法のエネルギーには値段がつくかもしれないが、精神の力は無価であり、物質的なエネルギーを開発し出すことができる。それゆえ、識心の活動は色身にエネルギーを生じさせることができ、最初に生じるエネルギーが脳波であり、運動エネルギー、熱エネルギー、そして位置エネルギーを含んでいる。
エネルギーが色身の上に現れるものとして、たとえば頭が張る、顔が赤くなる、首が太くなる、熱が出る、寒気がする、身体が動くなどがある。これらの状態から、意根に思想の活動があり、念頭があり、思择(思量・選択)があったことが見て取れる。意根が一たび動けば色身もそれに従って動き、身と心が相倚り、相互に依存し、相互に影響し合うという現れはまさにここにある。七識そのものは、識の種子が刹那刹那に生滅して連結し合うことによって形成されたものである。識の種子の生滅の現象もまた物質ではないエネルギーを生じさせることができ、七識を絶えず流転造作させ、心所法を絶えず出生させ、喜怒哀楽、悲歓離合、沈思冥想を生じさせ、信心と信念を生み出し、それによって色法のエネルギーの生住異滅を牽引する。ここには観察し探究すべききわめて多くの奥義があるが、定慧が不足していれば観察し出すことができない。
六塵は四大種子が刹那に生滅することによって形成された現象である。種子が生じて滅し、滅して生じるということは一種の推進作用であり、六塵の流転と変化を推し進め、六塵に物質の属性を持たせ、エネルギーの作用を持たせる。種子は海の中の波のように、生滅する波によって大海の絶え間ない流れを推し進め、こうして動のエネルギーが生じる。エネルギーは生滅の現象によって生じたものである。一たび生じ、一たび滅し、一たび滅し、一たび生じることがすなわち動であり、動であればエネルギーがある。四大種子は常にきわめて速やかに生滅しており、前のものが倒れれば後のものが続いて絶えることがなく、生滅変化がきわめて速く、しかも一定の軌道に沿って生滅流転している。こうしてエネルギーの波が生じるのである。
エネルギーとは一種の力であり、心の力と物質の力を含む。物質の力は微粒子の速やかな運動によって生じたものであり、物質の運動の本質は四大種子の生滅変化であり、さらに外力が加わることによって四大種子の生滅変化が一定の軌跡に沿って運行するようになる。力の生起は生滅の現象によって発散され、反映されたものである。生滅がなければ力はなく、力があれば世間の一世の法がみな生じ滅していること、果てしなく生滅し続けていること、あるいは一定の期間内の生滅の現象によって生じたエネルギーであることを表している。これらの現象こそ、現代科学の量子力学が研究する方向なのである。
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