衆生無辺誓い度す
煩悩無尽誓い断つ
法門無量誓い学ぶ
仏道無上誓い成す

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日常開示

2021年11月14日    日曜日     第1 回の開示 合計3539回の開示

禅定はどのような道に属しますか

道は世間道と出世間道に分けられる。世間道は外道とも呼ばれ、仏法外の道であり、四禅八定はあるが解脱の智慧がなく、解脱果を証得しない。出世間道は仏道・菩薩道・縁覚道・声聞道に分かれる。仏道と菩薩道は四禅八定と大乗般若・唯識の智慧を結合した解脱道であり、縁覚道は四禅八定と十二因縁の智慧を結合した解脱道、声聞道は四禅八定と四聖諦の智慧を結合した解脱道で、四種の道にはそれぞれ対応する解脱果がある。もし出世間道に四禅八定のみ存在し解脱智慧が未だ得られなければ解脱できないが、それでも外道よりははるかに優れている。四禅八定を得れば五種の神通力が現れ、禅定なき者に比べ生死に自在性を持つが、それは一定範囲内の一時的な自主性に過ぎず、長期的には依然として生死に自在でなく六道輪廻を出られない。

唐代、雲門宗の雲門禅師の師である睦州和尚は神通力を有していた。皇帝が国師として招いたが、睦州は皇帝の側で束縛されることを好まず、山に独居して弘法を続けた。弟子は多かったが首座を置かず、雲門だけを認めていた。当時雲門は出家もしておらず、未だ生まれてもいなかった。睦州が衆生を度化して十数年、住山二十年近く経っても首座は空席のままだった。ある日弟子達に「我が弟子雲門が生まれた」と告げた。神通により雲門の誕生を感知し、雲門が十代になり牛飼いを始めた時も弟子達に伝えた。

雲門が成人し諸寺を巡歴し始めると、睦州は「我が首座が来た」と宣言した。在家の身で荷物を背負って現れた雲門を出迎え、剃度させて直ちに首座に就かせた。首座は師匠に次ぐ寺院の最高責任者であり、一切の事務を統轄する地位である。睦州は妥協を許さず、雲門以外を認めなかったため首座を空席にしていたのである。

唐宋期には睦州のような神通を持つ禅師が多く、四禅定を得た者は一定範囲で生死を自在し、随意に人間界に転生できた。香を一本焚き終わらぬ内に転生する者もいたが、真に悟った禅師は「生死自在に見えても六道輪廻を出られぬ」と指摘した。

ある禅師は南方に三年間妊娠した女性が自身の転生を待つと神通で知り、同道の要請で南下した。途中で川辺の女性を見て転生を決意し、九年後に牛に乗り笛を吹く童子として再会すると告げた。果たして九年後、その童子を見出したが、これは悟りを証得したことを意味しない。

当時の修行者、特に出家者は普遍的に四禅定を修得し、在家者も禅定を得て出家後は主に禅定を修め参禅した。現代と異なり人心が清浄で善根福徳が厚く、雑事が少なかったため禅定が得やすかった。寺院では毎日定時に坐禅し、作務中も禅を参じた。

四禅定を得た者は随意に転生先を選べる。五祖前世の例では、四祖の示唆で洗濯中の少女に「住処を貸せ」と申し出、胎内に直接入り三年後に出生した。五祖は幼少で四祖に出会い出家、若くして悟りを開いた。外道時代の禅定は解脱の正道でなく、悟りこそ真の道である。

釈迦仏の外道師・鬱頭藍弗仙人は四禅八定を極めたが、仏はこれを道と認めず菩提樹下で悟りを開いた。鬱頭藍弗は非想非非想処天に生じ八万大劫の定福を享けるが、かつて発した毒誓のため、後に大鳥となり小鳥を殺す悪業を造り地獄に堕ちる。仏はこれを憂えたが、既に手遅れであった。

真の仏道には四禅八定に加え大小乗の無我の智慧が必要である。禅定のみで我見を断たず明心見性しなければ、生死の苦から解脱できない。定慧を具えた道のみが三悪道を免れ、生死を超越するのである。

回向文:当ネットプラットフォームにおける全ての弘法と共修の功徳を、法界のすべての衆生に、世界の民衆に回向いたします。世界の平和と戦争の終熄を祈願し、一切の災難が消退するよう祈ります。各国人民が慈心をもって協力し合い、風雨順調で国泰民安であるよう。全ての衆生が因果を深く信じ、殺生を戒め、善縁を結び善業を修め、仏法を信じ学び善根を増長し、苦を

——生如法師の開示
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