金剛経第十品の原文:仏は言われた:仏土を荘厳するものは、即ち荘厳に非ず。是れを荘厳と名づく。この故に、須菩提よ、諸々の菩薩摩訶薩は、かくの如く清浄心を生ずべし。色に住して心を生ずべからず。声・香・味・触・法に住して心を生ずべからず。住する所無くして而も其の心を生ずべし。
解釈:先に仏はすでに須菩提に説かれた、菩薩摩訶薩はこのように清浄心を起こすべきであると。故に色法に住して心を動かし念いを生ずべきではなく、色法において色は色に非ずと見、色相に住せず。色法なるものは即ち色法に非ず、是れを色法と名づく。色法はただの名称に過ぎず、実質の色法は存在しない。菩薩摩訶薩はまた声・香・味・触・法に住して心を動かし念いを生ずべきではなく、声・香・味・触・法において、声を見れば声に非ず、声相に住せず;香を見れば香に非ず、香相に住せず;味を見れば味に非ず、味相に住せず;触を見れば触に非ず、触相に住せず;法を見れば法に非ず、法相に住せず。声・香・味・触・法なるものは即ち声・香・味・触・法に非ず、是れを声・香・味・触・法と名づく。声・香・味・触・法はただの名称に過ぎず、実質の声・香・味・触・法は存在しない。故に世尊は菩薩摩訶薩に戒められた、色に住して心を生ずべからず、声・香・味・触・法に住して心を生ずべからず、住する所無くしてその清浄心を生ずべしと。
ここでいう「所」とは、色・声・香・味・触・法を指す。「住する所無し」とは色・声・香・味・触・法に住せぬことである。如何にして住する所無き心を修めるべきか? これには大小乗の見道において、五陰十八界が空にして自性無きことを証得した後、六七識の心は六塵の境界に住せず、境界相に執着しなくなる。この中には次第と層次があり、初めは確かにあまり堅固ではなく、完全に境界相に執着せず、六塵に住せぬ状態には至らない。しかし真の見道を得さえすれば、これはいずれ問題ではなく、遅かれ早かれ達成されることである。
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