衆生無辺誓い度す
煩悩無尽誓い断つ
法門無量誓い学ぶ
仏道無上誓い成す

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日常開示

2021年10月05日    火曜日     第1 回の開示 合計3519回の開示

ジョタオの観行日記 2021-10-04

脚の気脈はますます通じるようになり、座禅がとても楽になりました。座る時はほとんど努力が必要なく、少し調息するだけで空霊で柔らかな状態に入ることができます。その後、五陰無我の念を心に懸けて参究し、座禅から降りた後は、両脚が楽になり、非常に心地よいです。朝目覚めると、体全体が喜びに満ち、腰、手足、心口、喉のエネルギーが充実し、体全体の細胞が喜び、気血が非常に充実して膨張感さえあります。エネルギーが過剰になると負担に感じるため、通常は起きて歩き回り、集まったエネルギーを消散させます。頭も非常に軽快で明晰に感じられ、清らかな気が頭頂に昇るようです。 

引き続き少食を維持し、今日から休みが終わるまで米や麺類などの食物を摂取せず、腸をさらに空にします。私が座禅に障害を感じる主な原因は五陰の遮障、つまり身心両面の要因です。まず身体の気脈が十分に通じていないため、エネルギーを効果的に蓄積・向上させることができません。また心が清浄でなく、思考が乱れているため、法義に専念して思惟することができず、修行の進展が遅くなります。ですから私は身心両面から遮障を取り除く必要があります。真剣に努力すれば必ず効果がありますが、日常の雑事に巻き込まれ、無自覚なままでいると修行は向上しません。ですから意識の警戒心が重要です。意根がまだ薫習を受けていないうちは、意識が意根を頻繁に戒め、正しい道に精力を集中させ、決して放漫にしてはいけません。

身体を清浄にし、頭の思考を澄ますことは比較的難しくありませんが、我見を断つことは本当に困難です。なぜなら意根が非常に頑固だからです。普段の夢から観察できるように、夢中でまだ様々な自己保身の心構えや感情が生じることがあります。昼間は自分を欺くことができ、内心は特別清浄なようですが、夜夢を見ると、意根の細かい計算が止んでいないことが分かります。ですから修行はまだ表層に留まっており、さらに深く入る必要があります。道のりはまだ長いです。 

評:これは喜覚支の段階に修到したものである。七覚支の助道品:念覚支、択法覚支、精進覚支、喜覚支、猗覚支、定覚支、捨覚支。七覚支は環状に連なり、前の覚支がなければ後の覚支はない。喜覚支が現れる時は心に喜び身に楽があり、その後には軽安覚知、定覚支、最後に捨覚支が続く。

もし身楽の最初の段階にあるならば、そのまま保持し、急いで消散させようとせず、修行が自然に転折推進するのを待ち、人為的な干渉を多く加えない方が良い。自然のままが最善である。ただこれらの覚受に執着したり気にしたりして修行の進歩を妨げないようにすれば良い。軽安覚支と定覚支がまだ生じていない時、覚受は空じたり捨てたりできません。この時はまだ自然な状態を保ち、身体の楽触と覚受に随順すべきです。そうでなければ後の覚支も現れません。若い時は身体条件が良く修道が非常に速く、年齢が高くなるほど修道は困難になります。ですから修道は早ければ早いほど良いのです。

また禅定中に五陰無我を観行する時、心に懸ける法義の内容は多すぎず複雑にせず、できるだけ簡潔で単一にし、少しずつ深く入るべきです。多くを貪ると咀嚼消化できません。無我を観行する時、五陰の全ての構成要素を分解し、一つの方面から観行を始め、心に比較的具体的な法義を一つ懸けるようにすれば、観行はそれほど困難ではありません。最初から五陰無我という大きな念を心に懸けてはいけません。この時は意識も意根も能力がまだ限られており、このような巨大な対象を咀嚼できません。能力が向上し、宏观的な観行能力が増強されてから、全体あるいは総体的に五陰十八界の無我性を観行すれば、ようやく消化できるようになります。 

意識で証果したという方々にお尋ねしますが、あなた方はこのような覚受を経験したことがありますか?このような体験がありますか?おそらく夢の中でも見たことがなく、ましてや実際の体験などあり得ないでしょう。七覚支の最初の覚支さえ発起したことがなく、定覚支や捨覚支は影も形も見たことがないでしょう。七覚支を飛び越えて果を得たとか、八正道を飛び越えて果を得たとか、三十七道品を飛び越えて果を得たなどと言い、実修の影も形もないのに、どうして三縛結を断じ、どうして実証があると言えるでしょうか?三縛結を断たずしてどうして明心開悟できましょうか?各団体や個人がこぞって実修実証のレッテルを貼り、三十七道品の修行を飛び越えて、どうして実修があると言えるのでしょうか?名誉だけを求め、結果を顧みない。これが現在の仏教学習者の心構えです。

——生如法師の開示
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