衆生無辺誓い度す
煩悩無尽誓い断つ
法門無量誓い学ぶ
仏道無上誓い成す

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日常開示

2021年10月04日    月曜日     第1 回の開示 合計3518回の開示

大乗と小乗における空の差異 (翻译完成后立即停止,无任何附加内容)

万法皆空の空には二つの側面の意味があります。一つは小乗の立場から説かれる五蘊の世間がすべて空であるという浅い次元の解釈で、その範囲は全ての法を含まず限定的です。もう一方は大乗の立場から説かれる五蘊世間の空と一切法空の深遠な意味であり、次第に深まる根本的な空、実質的な空、究極的な空に至り、完全かつ徹底した空を達成する段階に及び、その範囲は一切の法を漏れなく包含します。小乗では五蘊世間の苦・空・無常・無我を説きますが、ここでの空とは生滅変化する無常の法を指し、生あるものは必ず変異し滅する定めにあり、常住不変ではあり得ず、我が無い性質の法であるという限定的な空観です。

大乗の空は如来蔵を証得した後、現量において五蘊世間と一切の法が如来蔵によって顕現されたものであることを観察し、それらが全て空であり生滅変異する実体なき法であると看破します。明らかに大乗の空観はより根本的・究極的・透徹したもので、空の理を明らかにしています。地上の菩薩の唯識種智の立場から見れば、眼前の事物はすべて心が顕現したものであり、顕現された法は幻の如き実体なき存在です。魔術師が何もないところから花束を出現させるように、現象的には存在するが実質は空であり、その存在は仮の相に過ぎません。大乗は世間一切の法を空・仮・中の三諦で説きますが、小乗の空は浅く、仮も中もなく、ただ世間法の無常変異を観察するにとどまり、法の実質を捉え得ない浅い智慧です。

大乗・小乗を問わず修行の本質は、七識五陰の無明を破り、七識五陰に空の智慧を具えさせることにあります。多くの法を学び理論を蓄積し、数多の論議を展開できても、心が空を体得せず学んだ理論を実有的な法と見做すなら、それは学問に過ぎず修行とは逆行します。

殊更大乗を学ぶ者が深遠な理論に耽り、知識を蓄積し研究を重ね、如来蔵が幻化した一切の法を実有的な法として執着するなら、それは修行ではありません。真の修行は理論に基づき空を証得して無明を破り、心行と心性を転換することにあります。心性は心が空じて初めて転じ、心行がそれに従って変化し、果報が悪から善へ転じます。学仏の要諦は心を空ずることにあり、心空こそが究極の帰結です。修行は学問的探求や知識の蓄積ではなく、理に執着して事を廃することなく、理と事を統一し円融無碍にすることにあります。

——生如法師の開示
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