衆生无边誓願度
煩悩无尽誓願断
法門無量誓願学
仏道無上誓願成

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日常法話

2018年02月11日    日曜日     第8開示 合計25開示

解悟と証悟の大いなる差異

この知は、主に意識の知であり、背後には意根の知もある。証悟の知とは、智慧的な知であり、悟り以前の知とは異なる。悟り以前は意識が如来蔵を推測し、意根は法界の実相を知らず、五陰を我と認め、二つの識には智慧がなかった。悟り後、意識は如来蔵を証得し、意根は法界の実相を知る。この智慧は大変なもので、煩悩は次第に脱落し、無明は徐々に減り、我執はますます軽くなり、ついには識を転じて智となることができる。したがって、証悟は必ず意根も証悟していなければならず、さもなければ意根には証悟の智慧がなく、煩悩を断ち切ることができず、識を転じて智とすることもできない。 

悟り後の「証して初めて知る」という境地は、言葉では完全に表現できない。あたかも人が蜂蜜を口にしたように、その甘さは自分自身の心にしか完全にはわからず、どれほど人に語っても、相手は理解するだけであって、真に実感することはできない。自ら味わい、自ら感じたものではないからである。したがって、意識が推測して得た如来蔵の解悟と、意根が自ら証得した如来蔵の証悟とでは、その智慧の差は極めて大きく、受用の差も甚だしく、その後の修行は天地ほどにも異なる。

——生如法師の開示
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