衆生无边誓願度
煩悩无尽誓願断
法門無量誓願学
仏道無上誓願成

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日常法話

2018年02月15日    木曜日     第1開示 合計48開示

観行における識陰の要点と意義

観行五陰のうち識陰においては、識の種子が七つの識の機能作用を生じることを観じる必要があり、特に六つの識の機能作用に重点を置く。受・想・行・識の識の種子が出力された後に六識が形成され、その後にはじめて六識の種々の機能作用が現れる。

六識が生じた後には、受覚が生じ、次に識覚の分別作用が現れ、さらに行覚が生じる。受陰・想陰・行陰・識陰のあらゆる機能作用について、具体的にどのような機能作用があるかを自ら一つ一つ仔細に観察し、一つも見逃してはならない。識の種子が生じた後には、識心にはこれらの作用があることを理解すべきであり、これは非常に重要である。これを明らかに観察できれば、大乗・小乗ともに悟りを証することができる。

識陰においては主に受の虚妄性を観察する。我々の五陰は依然として受陰を中心としており、衆生は皆、自らの覚受を実体と見なし、覚受を中心として五陰の身・口・意の活動を展開している。この受覚がいかに不実であり、生滅し、空であり、苦であり、我がものではないかを観察する。その後、さらに進んで想陰・行陰を観察する。想陰とは執取、取相であり、心が相を取り、了別・分別すること、あるいは種々の思想・思惟である。

行陰については、識があるところには必ず行がある。なぜなら識は必然的に運行するからであり、識が運行した後に初めて受・想が生じ、分別などの機能作用が現れる。識の種子が識を形成するという内容を明らかに観察できれば、大乗・小乗の法はすべてここにおいて証される。将来悟りの智慧は非常に深遠なものとなり、開悟すれば一気に唯識の悟りに至る。この悟りは禅宗の悟りよりもはるかに深く透徹しており、識のレベルに悟入するため、智慧は非常に深遠となる。将来、速やかに唯識の種智を具えることができるようになる。

——生如法師の開示
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識心は色身の内外及び中間に在らず

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如何に五蘊の無我を観行するか

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