六識は勝義根における内六塵を分別しますが、内六塵と接触する際にも、識心は色身の内外にも中間にも存在しません。『楞厳経』第一巻において、世尊はこの問題について説かれており、識心が色身の内外中間に存在しない理由は、識心が形相を持たず色身に住することができないためであると示されています。もし識心が色身に住するのであれば、色身を解剖すれば識心の所在を発見できるはずです。
しかし実際に身体を一片ずつ切り分けても識心を見出すことはできません。ゆえに識心は色身内に存在しないのです。また識心が色身外にあるならば、それは虚空中に存在することになり、六識は自己と無関係で自己の所有物とはなり得ません。仮に六識が虚空中で自己に作用するなら、同様に他の衆生にも作用し、意識が共有されることになりますが、これはあり得ないことです。もし識心が色身と虚空の中間に存在するとすれば、真実として中間と呼べる場所は存在せず、いわゆる中間の位置を見出すこともできません。したがって識心は色身の内外および中間のいずれにも存在しないのです。
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