衆生无边誓願度
煩悩无尽誓願断
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日常法話

2018年02月16日    金曜日     第3開示 合計56開示

嬰児はなぜ記憶力が比較的悪いのか(二)

嬰児の識心は非常に弱く、感知力が劣り、思惟力も劣ります。彼らは勝解力があまりないため、憶念力がきわめて劣り、記憶力もあまりありません。しかし一部の特殊な場合は例外で、たとえば嬰児には生まれつきの習性があり、触塵に対する感覚が非常に鋭敏である反面、耐受力が比較的弱く、しかも言葉で表現することができないため、少しでも思いどおりにならないと泣き騒ぎ、それによって自分の不快な感受を表現します。温飽は触塵に属し、嬰児はきわめて敏感であり、さらに飲食は衆生の生命活動に不可欠なものであるため、嬰児は生まれつき飲食と温飽に対して勝解があり、触塵に対して勝解があり、記憶もありますが、それは特別な思惟によるものではなく、本能的にそうなのです。また、飲食と身体上の触塵が常に存在し、嬰児も常に接触しているため、飲食と触塵に定じているのと同じであり、嬰児はこれに対して勝解があり、憶念があり、記憶もありますが、それ以外のことについては、嬰児の記憶はきわめて劣っています。

記憶は意識心の功能体性の一つです。胎児の段階では、意識がひとたび出現すると、記憶の功能があり、それゆえ胎教があるのです。胎教とは、胎児が母胎の内外の音声を聞いたとき、内心に一定の理解があり、薫陶を受けられるようにし、それによって教育を得させることです。胎児は母腹の中で四、五か月になると意識が出生し、そのときにはすでに感知能力があるため、胎動という現象があります。意識心が出生してこそ胎動があり、識心がなければ身体は動きません。意識心があってこそ、胎教の作用があり、さもなければ胎教には何の用もないのです。

意識心がなければ、勝解も記憶もなく、胎児は教えを受けることができません。胎動とは、意識と身識が共同で活動する現象であり、さもなければ動くことができません。意識と身識は、母胎の中の環境を了別し、了別した後には感受があり、こうして身体に相応の反応が生じ、はじめて胎動という現象が発生するのです。胎児が音声を了別するとき、内心には必ず感受があり、内心の情緒が身体によって表現され、あるいは静から動へ、あるいは動から静へと移ります。
以上に述べた勝解、じょう、憶念、記憶は、いずれも意識心の功能体性であり、意識心の五別境心所法であり、さらに欲と慧の心所法が加わります。意識と共同で生起して分別の作用をなす五識にも、五別境心所法があります。嬰児は六識の存在さえあれば、必ず五別境心所法があり、ただこれらの心所法の現れがいくらか微弱であるにすぎず、出生後の生存経験の蓄積に伴って、別境心所法の功用は強大になり、記憶力もそれに従って強くなっていくのです。

——生如法師の開示
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