衆生无边誓願度
煩悩无尽誓願断
法門無量誓願学
仏道無上誓願成

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日常法話

2018年02月17日    土曜日     第5開示 合計65開示

隔陰の迷いと宿命通

意識には隔陰の迷いがあります。いわゆる隔陰とは隔てられた五蘊のことで、同一世の五蘊ではありません。今世の五蘊が滅すると、来世の五蘊が新たに生じ、身体と六識はすべて新しく入れ替わります。六識は前世のことを知ることができず、前世を記憶することはもはやできません。これを隔陰の迷いと言います。もし四禅八定を加えて修めず、宿命通もなく、生まれながらに報得した宿命通もないならば、六識は前世の経験について何も知ることはありません。宿命通がなければ前世後世のことを知ることはできず、宿命通があれば自分と他人の前世後世のすべてのことを知ることができます。

衆生は前世で死んだ後、この世の五蘊は新たなものとなり、六識も新しくなります。すでに前世の六識ではないため、前世の人や事物を知ることは確かにできません。なぜなら、この世の六識心はこの世の五蘊の上で一切の人事物を記憶・了別し、この世の事柄のみを記憶するからです。したがって、この世で記憶した一切の法のみを了知することができます。そしてこの世の五蘊は、前世の元の五蘊ではありません。六識が前世の五蘊によって造作した事柄については、当然、記憶を持つことはできません。

しかし、意根は無始劫以来ずっと存在し滅することなく、それ自体が生生世世の煩悩習気を蘊積しています。したがって、この世の五蘊と前世の五蘊は、習気煩悩の面では相続しており、もし仏法を学び修行しなければ、習気はますます重くなります。第八識もまた無始劫以来ずっと継続してきているため、今世の五蘊と前世の五蘊には連帯関係があり、互いに関係のない二つの生命体ではありません。ですから私たちが仏法を学び修行する際には、後世の自分のことを考えなければならず、ただ今世だけに生きて、自分の来生を顧みないわけにはいきません。もし隔陰の迷いを持ちたくないなら、宿命通を修学し、禅定を修めて四禅に至った後に宿命通を成就させなければなりません。しかし、宿命通は解脱や智慧とはあまり関係がありません。菩提を証得する前には、神通を修学する必要はなく、そうでなければ道を障げる因縁となってしまいます。

——生如法師の開示
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