ある程度悟りを開いた修行者は、常に内省を繰り返すことで、自心の奥底から湧き上がる「我」の存在に気付くようになります。これは良い兆候であり、未だ覚醒していない者には見えない事象です。その「我」が頭をもたげるのを感知したら、その存在を静観し、それがどこから来てどこへ向かい、どのように生起し滅し、如何に作用し、心の動きはどうであり、何を目的としているのかを明らかにせねばなりません。
常にこのように観察を続ければ、必ず重大な発見があります。このような修行を実践する者は、意識的に自我を抑圧する必要はなく、むしろその「我」を表出させた上で捉え、その根源を審判することで大きな収穫を得るでしょう。
後の煩悩を断つ修行においても同様で、煩悩を無理に抑え込まず、その発生源を観察し、素早く捉えて厳密に審査すれば、必ず転換を遂げられます。
修行はやはりこの娑婆世界においてこそ適しています。至る所に煩悩の賊を捕らえる機縁が存在し、その賊を捕えさえすれば本来の姿を見極め、自家の宝蔵を再び失わずに済むのです。
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