衆生無辺誓い度す
煩悩無尽誓い断つ
法門無量誓い学ぶ
仏道無上誓い成す

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日常開示

2019年01月20日    日曜日     第1 回の開示 合計1192回の開示

散乱心がなければ、禅定は自然に現前します

心に雑念が生じなければ、散乱心は除去され、散乱心がなければ禅定は自然に現前いたします。雑念は意根が縁に攀じる習性であり、これを克服するのは困難で、何とかして調伏しなければなりません。では如何にして意根の習性を効果的に調伏するか。意根の特徴を捉える必要があります。意根は何もすることがない状態を最も恐れるため、意義ある事柄を与え、主にこれに従事させます。その事柄が非常に重要であると意根に認識させれば、必ずや精力を集中させることができるでしょう。

最も意義ある事柄とは何か。意根に呪文や経典・仏号を唱えさせることです。初めは回数や時間を定め、一旦習慣が形成されれば、もはや規定する必要はなく、自然と自覚的に唱えるようになり、睡眠時もこの状態を保つことで、定力が修まります。

意根の精力は極めて旺盛ですから、その注意力を引きつけ、精力を集中させる工夫が必要です。これは意識が如何に意根を説得し、如何に意根の関心を引き出すかにかかっています。

日常のあらゆる行為において、心で楞厳呪を唱え続け、回数を求めずとも大いなる加持力を得られます。時間を縫って定を修め、定力が多少向上したならば、五蘊十八界を思惟し、色身の無常・無我より観行を始めます。五陰が活動するその瞬間、色身とは何か、受陰とは何か(各識における受)、想陰とは何か(各識における想)、行陰とは何か(各識における行)を分別し、六根の実態、六塵の内容、六識の働きを観察した上で、これらの法の生滅変異の様相を観照すべきです。

——生如法師の開示
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