衆生无边誓願度
煩悩无尽誓願断
法門無量誓願学
仏道無上誓願成

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日常法話

2018年03月04日    日曜日     第7開示 合計146開示

実証こそ生死の大問題を解決する

もしも誰もが大念住経の方法に従って修行すれば、小乗は速やかに成就し、禅定は必ず成就する。しかし現代人の心はあまりにも散乱しており、これらの観行を完成することができない。仏陀が在世の時、比丘たちは皆このように修行していた。

今のところ、私たちの修行に必要な大小乗の理論部分はほぼ十分であり、足りないのは実践のみである。実践においては必ず戒定慧を修め、菩薩の六波羅蜜修行、特に福徳と禅定の二つの面での修行を完成させなければならない。個人での修行が困難であれば、共修が必要となる。仏陀在世中、共修を指導したことは一度もなく、各自が結跏趺坐して観行し、仏の説かれた法を思惟し、その後で証果を得ていたのである。

現代人は生活や仕事が忙しすぎて坐禅の時間がなく、禅定が確かに向上しない。思惟が浅く緻密でなく、法を証することができない、これもまた事実である。坐禅後の禅定と、ただ歩行坐臥だけの禅定との差は非常に大きく、坐禅を経験した者だけがその差を実感できる。自ら方法を考え、自らが自らに責任を負わねばならない。多くの理論を知っているからといって道があるわけではなく、滔々と語れるからといって道があるわけではない。実証の後は、たとえ弁舌が立たなくとも道はある。弁舌が立つが実証がないなら、それは道ではない。

実証こそが生死の大問題を解決する。どのような法も道業より重要なものはなく、命を落とすとも道業を成就せねばならない。そうでなければ、生きている間に世俗の法がどれほど成功しても、何の意味があるだろうか。

——生如法師の開示
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