問:ただただ現在に安住し、現在に覚知すること。何も思惟せず、何も考えないという修行は良いものでしょうか。
答:これは外道の定です。心に念いを起こさなければ生死を解脱し涅槃を得られると考えるのです。もし何も思惟しないなら、どうして智慧を得ることができるでしょうか。智慧がなければどうして生死輪廻を離れることができましょうか。
ただし無念の定をたまに修めることは、定から出た後に身心ともに軽安愉悦を得、煩悩を減じ、心を細密にするため、この機会に正しく仏法を思惟観行するなら、この定も思惟観行と煩悩降伏に大いに有益です。ただひたすらこのような修行に耽るべきではなく、貴重な修道の時間を浪費しないよう注意が必要です。
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