衆生无边誓願度
煩悩无尽誓願断
法門無量誓願学
仏道無上誓願成

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日常法話

2018年03月05日    月曜日     第1開示 合計148開示

六識の心所法

六識が生じた後、作意心所と触心所のどちらが先でどちらが後かは必ずしも一定ではありません。初期段階において、六識が種子位にある時は、必ず作意が先に起こり、識心を対応すべき境界へと導いた後、作意は完了します。識心が生起すると触塵が生じ、六識は境界に接触できるようになります。境界に触れた後に初めて境界を了別します。これが最初の「作意が先、触が後」のプロセスです。触れた後には受・想・思が生じ、思った後に識心は再び触れ、触れた後は再び作意が生起し、領受し、了別し、思惟を起こし、再び感受する可能性があります。このように幾つかの心所の順序は逆転する場合があり、触が先に起こり境界に触れた後で注意を境界へ向ける、つまり作意が生じることもあります。

五遍行心所法の現行において、初めは作意が先に起こる場合もあれば、五遍行心所が全て活動し始めた後では触が先に来る場合もあります。六識が境界に触れて受が生じると、境界を領受・領納できるようになり、次に境界を執取するため名言(概念)が生じ、想が形成されます。名言と想が生じた後、思心所が造作を開始し、思惟・思量・考慮が生じます。思量が生じた後、苦・楽・捨の三受のいずれかが生起し、初歩的な抉択が行われ、身口意の行が造作され始めます。

身口意の行が造作された後、再び触が生じる可能性があります。境界を完全に決定できないため、再び触れて領受し、再び了別し思惟を繰り返し、完全に理解し明確になるまで反復を続け、最終的な抉択を下して初めて終結します。このプロセスは極めて複雑であり、細部にわたる観行は困難です。五つの心所法は必ずしも固有の順序通りに運行するわけではなく、五つのプロセス全てを順番に経る必要もありません。受の段階で再び触から始まる場合もあれば、想の段階で再び触れる場合もあります。思惟が完了した後、暫く決定できない場合は再び触れ、触れた後に作意を起こすこともあります。あるいは先に作意してから触れることもあり、その順序は一定せず、五つの心所が現起する回数や時間の長さもそれぞれ異なります。

——生如法師の開示
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