禅の修行において第八識を参究し悟りを証得するためには、第八識の本体性を理解するだけでなく、それがどこに現れているかを知らなければならない。......第八識はあまねく一切の処に遍在するのだから、どこに彼(それ)がおらず、どこに彼(それ)がないということがあろうか。彼(それ)がなければ、一切もなく、どこもなく、いずこもない。彼(それ)があれば、一切があり、どこもあり、いずこもある。なんと自在な法であろうか。意識を堅苦しく固執する必要もなく、意識心に大仰な解釈を施す必要もない。ただ意識心を反照させ、その来し方を見、その起こる所を観じれば、自然と帰家の路を見出すだろう。彼(それ)を証得した後、智慧が生起し、実相般若の智慧が発起する。智慧が円満に具足する時、仏と成るのである。
5
+1