意識が仏法を学び精進したいという意図を意根に伝え、仏法に対する理解を意根に伝えることで、意根が十分に理解し勝解(しょうげ)すれば、初めて意識の考えや思惟の内容に同意し、決断を下して精進心を起こし、修行に励むことができる。意識が意根を薫染(くんぜん)できるのは、意根が意識の思惟・了別内容や意識の選択・判断を勝解したからこそであり、意根はこれに基づいて決断を下すのである。
もし意根が意識の思心所(ししんじょ)や分析判断の内容を勝解できなければ、意識のいかなる選択にも同意できず、意識は意根を薫染できない。そうなると意根は永遠に薫染を受けず、自らを変えて煩悩や無明を取り除くことができない。第八識が業種(ごうしゅ)を現行(げんぎょう)させ、業縁が現れると、意根がこれに対する勝解力を持たなければ、直ちに行動を起こし対応する反応を示せない。向かいから車が走ってきても、意根がこの事象を勝解しなければ危険を認識できず、即座に避ける決断が下せない。そうなれば衆生は永遠に危険を回避できず、天寿を全うすることもできない。
動物たちの意根も勝解力を持つため、直感反応が生じ、その直感は人間よりも鋭い。近い将来災害が発生すると業縁が現前すると、意根はその意味を勝解し、自身に危害が及ぶと認識する。すると意根は逃避を決断し、動物たちは様々な異常行動を示す。動物たちの意識も観察するが、言葉を話せず表現できないだけである。意識が観察して結論を出すと、意根は勝解して悟り、その後対応する行動を取る。動物同士は互いの考えを理解し合い、協調行動を取ることがあり、時には非常に調和が取れている。これらの協調行動は意根の決断によって引き起こされるものであり、動物たちの意根は互いの心理や眼差し・表情・ボディランゲージを勝解できる。もちろんこれは彼らの意識心による分析判断を経て勝解し、決断と反応を示した結果である。
2
+1