五倶意識は独頭意識よりもはるかに力が強く、したがって意根を説得する力もより大きい。五倶意識が掌握する情報はより真実で全面的であり、資料はより豊富で、証拠はより確実であるため、意根は頼りになる根拠を得て、これに基づいて選択と判定を行うことができる。
実践は空想ではなく、必ず意根が参与するものである。意根が参与しないものはすべて確固たるものではなく、情思意解に属し、あたかも空中楼閣のようである。意根が実践に参与した後、真知を証得することができ、意根の知こそが真知である。もし単に意識の知だけであるならば、それは頼りにならず、学んだ知識と理論に過ぎず、自らが親しく証得したものではない。
もし意識が意根を染めることに成功すれば、意識の力は非常に大きくなる。私たちが仏法を学び最終的に仏となるのは、意識が絶えず深く意根を染め、意根の無明を断ち切り、徹底的に識を智に転じることに依るのであり、それによって最終的に仏となるのである。
意識心に力があれば、昼間に観想する際に意根を染め、夜になると夢に入る。夢の中で意識は自らが観想したものであることを知ることができるが、これは意根の働きによるものである。
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