衆生无边誓願度
煩悩无尽誓願断
法門無量誓願学
仏道無上誓願成

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日常法話

2018年03月17日    土曜日     第3開示 合計219開示

無始の貪瞋痴の由来

問、懺悔偈:往昔所造诸恶业,皆由无始贪嗔痴,从身语意之所生,一切我今皆忏悔。このうちの第二句「皆由无始贪嗔痴」とは、誰の無始以来の貪瞋痴を指しているのでしょうか?

答:無始劫以来の貪・瞋・痴は、ずっと現在まで続いてきたものです。それは意識のものではありえないでしょう?意識の存在はわずか数十年ですが、意根は無量歳、万万歳、無量劫にわたります。この貪瞋痴は誰のものなのでしょうか?意識の貪瞋痴であれば、説得し教育すればたちどころに道理がわかり、調伏するのは容易で、長年月にわたる懺悔をしても懺悔しきれないということはないはずです。中には、貪瞋痴の悪業を懺悔した後に、好相・瑞相を見なければならないものもあり、仏が来て頂を撫で、仏光が照らして初めて消滅できるのです。このような貪瞋痴の悪業は、どれほど根深く染みついているものでしょうか?意識の貪瞋痴でありうるでしょうか?意識の瞋に、これほど深刻なものがあるでしょうか?

出家して受戒する前に罪業を懺悔する際には、長い時間をかけて懺悔しなければならず、大多数の人の悪業は懺悔しきれず、受戒できないまま、病に倒れたり、その場で死亡したりすることもあります。菩薩戒を受ける前には、無始劫以来の罪業を懺悔しなければならず、三帰五戒においてさえも懺悔を必要とし、そうして初めていくらかの罪業を滅し、戒体を得ることができます。懺悔が清浄 (viśuddha/pariśuddha) でなければ、戒体を得ることはできず、出家者に戒体がなければ、真の出家者ではありません。菩薩戒で戒体を得ていなければ、それも菩薩ではありません。戒体による護持がなければ、犯戒する際に遮障がなく、容易に犯戒してしまいます。後世にはさらに遮障がなく、犯戒しているのに自分が犯戒していることを知らず、それがごく普通のことだと思ってしまうのです。その原因は、戒体による遮障がないことにあるのです。

——生如法師の開示
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