衆生无边誓願度
煩悩无尽誓願断
法門無量誓願学
仏道無上誓願成

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日常法話

2018年03月17日    土曜日     第2開示 合計218開示

痛みとは何か

痛みを覚知する際には、四つの識心が作用しています。身識・意識・末那識・阿頼耶識の四識が和合して作用することで、初めて足の痛みを覚知できるのです。一つでも欠ければ成り立ちません。具体的に痛みを感じるのは身識と意識であり、末那識と阿頼耶識は痛みを感じません。では、どうすればこの四識を区別できるでしょうか。もし区別できるならば、それは大いなる智慧を持つことになります。

痛みを感じる感覚は受蘊に属します。受蘊が尽きて初めて、痛みを感じなくなります。受蘊を尽くすまで修行するには、必ず四禅以上の境地に達し、明心見性した後、四地菩薩以上の境界に至らなければなりません。玄奘三蔵のインドにおける唯識の師である戒賢論師でさえ、頭痛がひどく帰国を考えたところ、観世音菩薩が現れて制止し、玄奘三蔵に唯識を教え終えてからにせよと告げ、さらに過去世の因果を説かれました。現代に戒賢論師ほどの智慧の境地に達した修行者はいるでしょうか。仮に達したとしても、受蘊が尽きる境地には至っておらず、おそらく色蘊が尽きる境地にも至っていないでしょう。それでは痛覚がないなどと言えるはずがありません。

痛覚を持たない者には、一つには生来の報いとして得た果報によるものがあり、福が尽きれば消滅します。もう一つは他類の衆生から与えられた加持によるもので、さらに生滅して頼りになりません。さらにもう一つは四禅八定を修めて得たもので、これもまた生滅の法です。しかし四地以上の菩薩はそれを保つことができます。明心見性し証果を得た聖者でなければ、到底保ち続けることはできません。

——生如法師の開示
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無始の貪瞋痴の由来

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