衆生无边誓願度
煩悩无尽誓願断
法門無量誓願学
仏道無上誓願成

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日常法話

2018年03月19日    月曜日     第3開示 合計227開示

意根に勝解 (adhimokṣa) はあるか

意根には勝解 (adhimokṣa) がある。もし意根に勝解がなければ、重大な出来事が突発したとき、意根は正確に了別することができ、しかも有効な応急措置を取ることができる。たとえば車が自分に向かって突っ込んでくるとき、意根は勝解したのち、直ちに色身を動員して危険を回避する。だからこそ、車が突っ込んでくる時に色身が緊急に危険を避けることができるのである。もし意根が勝解しなければ、六識が了別した一切の六塵境界が意根に伝えられても、意根は確実に知ることができず、当然なすべき抉択をすることができず、如理如法に六識を指揮して次の行動を取らせることができない。もし意根が勝解しなければ、意識が学んだものは、どれほど意根を薫習しても無駄であり、意根は理解することができず、種子として蓄えることもできないので、意識が学んだことは徒労に終わる。そして、意識が絶えず意根を薫習した後には、意根もまた認可し、変化して、正しい抉択を下すようになる。これが意根の勝解である。

もし意根が勝解しなければ、意識が学んだ四聖諦・無我の法は意根を薫染することができず、意根は永遠に我見 (ātma-dṛṣṭi) と我執を断することができない。もし意根に勝解がなければ、意識が学んだ般若 (prajñā) の理は意根を薫染することができず、意根は永遠に般若を証得することができず、般若の智慧を獲得することができず、転識成智を成し遂げることができず、まして仏地にまで修めて八つの識すべてを究竟に転識成智させることはできない。では、意根には果たして勝解があるのかどうか。意根にはもちろん勝解がある。

——生如法師の開示
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万法出現の因は意根の心動なり

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五識的了別性

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