衆生无边誓願度
煩悩无尽誓願断
法門無量誓願学
仏道無上誓願成

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日常法話

2018年03月23日    金曜日     第4開示 合計244開示

証法の根幹は意根にあり

問:無間作意とは、法義が意根に深く浸透した後、意根のみが無間作意を実現し、念念に捨てない状態を指すようでございます。実際の功徳は、意根の認可あるいは転換の必然的な産物ではございませんか。意根が真に認可し、受け入れたならば、証果の功徳は自然に生じ、智慧も得られ、これは一連の自然な過程であり、証法の根本は依然として意根にございます。そうでございましょうか。

答:おっしゃる通りでございます。無間作意におきまして、「無間」とは間断なきことを意味し、意根のみが法義に縁って間断なく、二六時中、朝に斯くの如く夕に斯くの如く、念念に絶えず続くのでございます。これには意識による仏法の薫習が必要であり、成功裡に意根に染み渡り、意根が仏法を重要と認めたならば、念念に仏法を心に懸け、心を仏法から離さず、いつの日か必ず仏法を証得できるのでございます。もし意根が仏法を心に懸けなければ、意識における仏法への心念は必ず途絶え、間断なく仏法に縁ることは叶わないのでございます。

催眠の方法を用いても意根を認可させることが可能でございます。その後、意根には転換が生じます。各人の意根が認可し仏法を証得する程度は異なり、受ける感応も異なり、転換も異なり、智慧も異なるのでございます。従いまして、根本智慧とは依然として意根によってもたらされるものを指すのでございます。

——生如法師の開示
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意根は禅定に相応するか

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