衆生无边誓願度
煩悩无尽誓願断
法門無量誓願学
仏道無上誓願成

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日常法話

2018年03月24日    土曜日     第4開示 合計248開示

修行はいかにしてすれば功不唐捐となるのか

一心不乱に本を読み、思惟し、事を行うことができるのは、いずれも意識の定(じょう)です。しかし、もし意根がこれに興味を持たず、読書や事を行うことに定せず、書の内容に専心して作意しなければ、意識は定することができるでしょうか?まったく不可能です。 意根が定しなければ、六識は定することを望んでも無駄であり、六識は猿のように散乱せざるを得ません。意識が絶えず専心して作意したとしても、それは役に立たず、やはり意根に引っ張られてあちこちへ走らされてしまいます。それゆえ、意根を調伏することは修行の極めて重要な要点であり、聞・思・修・証のすべてを意根にまで落とし込んでこそ、功は唐捐ならず(むだにならず)、必ず結果と果報がもたらされるのです。

——生如法師の開示
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応无所住而生其心の二つの意味

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