問:最近、日常生活の中で呼吸に集中できるようになりました。時には歩きながら呼吸に意識を向けていると、心に理由もなく喜びが湧き起こることがあります。三年前にも同じような感覚を経験しました。当時は坐禅を終えた後、細胞の一つ一つが喜びに満ちているように感じられ、他人にどんなに罵られても受け入れられる心境でした。しかしそれは一か月余りで消え、その後は最近までその感覚はありませんでした。なぜ喜びが生じるのですか?
答:禅定の功徳の一つは、心に喜びをもたらし、内面を愉しい状態にすることです。心の念いが一点に集中すると、四大(地水火風)を変化させることができ、身体は健康で軽く、安らかで快適になります。それゆえ心は影響を受け、喜びが生じ、精神は愉快で煩悩がなくなります。心の喜びは三十七道品の一つである喜覚支(喜覚分)です。喜覚支の後には猗覚支(猗覚分)が生じ、身心が軽安(軽やかで安らか)になります。猗覚支の後には定覚支(定覚分)が生じ、身体が軽安となった後、禅定の覚支が現れます。定覚支の後には捨覚支(捨覚分)が現れます。喜覚支は煩悩を降伏させ、煩悩を軽減する働きがあります。
人は喜び楽しんでいる時、他人に対して穏やかで瞋り(いかり)を抱かず、寛容で度量が大きくなり、性格が変化します。心に喜びが生じて初めて善が現れる、これが福徳から生じた善です。したがって三十七道品は大小乗の修行において必ず通る道であり、三十七道品を修めなければ心の状態は変わらず、煩悩を断つことができず、証果(悟りの果報)や明心(心の明らかさ)を得ることはできません。なぜ心を集中させた後に全身の細胞の一つ一つが喜びに満ちていると感じるのでしょうか?それは四大の変化が、細胞を構成する最も基本的な粒子からまず変化し始めるためです。細胞の四大が変化すると、心は快適で愉しく喜びを感じるようになるのです。
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