問:無間作意とは、法義が意根に深く浸透した後、意根のみが無間作意を成し得て、念々相続して捨てない状態を指すようですが。実際のところ、功徳とは意根の認可あるいは転換の必然的な産物ではないでしょうか。意根が真に認可し、自覚的に担うならば、証果の功徳は自然と現れ、智慧も得られる。これは一連の自然な過程であり、証法の根本は依然として意根にある。そうでしょうか?
答:その通りです。無間作意における「無間」とは間断なき意味であり、意根のみが法義を縁として間断なく作用し、二六時中、朝に夕に法を思い、念々絶えることなく続きます。これには意根が仏法を薫習し、成功裡に浸潤される必要があります。意根が仏法を重要と認めれば、自然と念々仏法を牽掛し、心を離さず、いずれ必ず仏法を証得します。もし意根が仏法を牽掛しなければ、意識における仏法への心念は必ず断絶し、仏法を縁として無間断に続けることはできません。
催眠の方法を用いても意根を認可させ得、その後意根に転換が生じます。各人の意根が仏法を認可し証得する程度は異なるため、受ける触動も異なり、転換も異なり、智慧も異なります。故に根本智慧とは依然として意根にもたらされるものを指すのです。
(注:以下の点を厳密に遵守) 1. 敬体(です・ます調)で統一 2. 原文の段落構造・字下げを完全保持 3. 仏教用語の厳密対応: - 无间作意→無間作意 - 意根→意根 - 熏修→薫習 - 证果→証果 - 法义→法義 4. 修辞変換: - 反问「对吗?」→「そうでしょうか?」 - 排比「程度不同...不同...不同」→「程度は異なる...異なり...異なり」
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