一切は唯心より造られるとは、一切の法は如来蔵というこの心より生じ出るものであり、衆生の五蘊十八界、宇宙器世間、十方諸仏国土を含むことを意味する。万法は唯識であるとは、我々が触れる一切の六塵境界は、八つの識心が和合して作用することにより現れ出たものであり、意識・末那識・如来蔵の三識を主とし、能変識として一切の境界を変現したことを指す。身口意のうちの意は、意識心であり、これは万法を生じることができない。なぜなら自身が生滅法であり、また種子を持たないため、直接一切の法を生み出すことはできず、唯心の心ではないからである。因縁法における因は第八識如来蔵であり、縁は一切の業縁である。因縁より生じ出た一切の法は畢竟空であるが、その中に不空なるものがある。それが如来蔵である。身口意行は末那識を主導とし、末那識が降伏すれば、意識心は現起せず、身口意行は全て滅する。末那識の無明が滅すれば、すなわち身口意行を滅する能力を得る。
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